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(114)大原の産屋(福知山市三和町大原)

命の誕生を見守る
産屋の入り口から大原神社が見える。今も生命の誕生を見守っているようだ(福知山市三和町大原)
 「ひどい雪やったな」。福知山市三和町大原の片山ミツエさん(八五)は出産直後、雪をかきわけてはうように産屋(うぶや)にたどりついた。一九四八(昭和二十三)年一月。産屋は大正時代まで、妊婦が七日七夜こもって出産した小さな建物だ。昭和に入ると、出産を終えた女性と家族が一晩迎える風習になっていた。
 産屋は片山さんの自宅の目の前だが、川が隔てる。橋はあるが、渡ってはいけない。「はしごをかけて、手を引いてもらって渡った」。十二把のわらを持って、三畳ほどの産屋の中へ入った。むしろの上にふとんを敷き、赤ん坊を挟んで夫と三人、一夜を過ごした。「義父は厳しい人だったので、家とは違って夫とゆっくり話せた。食事も運んでもらえて、こんなええとこやったらずっといてもいいと思った」
 産屋が使われた記録は、これが最後だ。体験者は、もう片山さんを含め三人しか残っていない。
 大原の産屋は、奥丹波の山の懐に鎮座する大原神社の近くにある。八五二年創建の神社は、平安貴族も詣でた安産の守り神だ。産屋の起源は、大洪水で濁流が凪(な)いだ所に材木が流れ着き、それを使って建てたと言い伝えられる。三百年以上前にはあったとされ、原形をとどめるものは全国でもほとんど残っていない。
 かやぶきの切り妻造りの屋根がそのまま地に伏せたような形。入り口から、神社の社殿が見える。林秀俊宮司は「出産は危険が伴う行為。新しい命は先祖の力を借りて生まれてくる。人知を超えたものだった」と言う。「産屋は大地との境、川との境界にあり、水平垂直に接点の場所にあるのです」
 生命の誕生への信仰は今も深い。産屋の砂は「子安砂」として、お守りに入れて枕の下に置かれる。毎年、産科を目指す医大生らが大勢、産屋を見学に来るという。
 神社にはもう一つ、「蛇のひげ」と伝わる品も残る。退治された竜が落としたとされる。
 片山さんはこんな経験をした。四二年に長男を出産した日。夜中、産屋の柱をゆっくり蛇が上っていくのを見た。怖かったが、「蛇は神の使いやから、じっとしてろと言われていた」。蛇は静かに去ったという。今、孫十人、ひ孫十人に囲まれる片山さんは、「あれはやっぱり神の使いだったのでは」と思っている。
【メモ】大原神社へは舞鶴若狭自動車道福知山ICから国道9号で三和町方面へ10分。府指定文化財の本殿のほか、人々の豊かな生活が描かれる絵馬殿などがある。産屋は神社からおよそ200メートル西。1985年、府有形民俗文化財に指定されている。同神社TEL0773(58)4324。

【2007年6月28日掲載】

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