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(115)龍神と雨乞い(京都市南区)

水求め 人々が信仰
異様な姿をした龍神像。古来から、雨を望む人々の信仰を集めた(京都市南区・福田寺)
 国道171号を車が激しく行き交う京都市南区久世殿城町。しかし、国道を離れて少し西へ歩を進めると、けん騒がうそのように感じる。そんな静かな空間に福田寺はたたずむ。
 参道を歩くと、鉄筋コンクリート造りの本堂が参拝者を迎え、その隣に木造の龍神堂がある。その堂宇の中で祭られているのが、「雨乞(ご)い」の伝承を持つ龍神像だ。
 同寺は奈良時代の七一八(養老二)年、仏教の民間布教に尽くした行基(六六八−七四九)が開いた。創建当時は、約八百メートル四方の広大な境内に七堂伽藍(がらん)を配置。平安末期には、「百人一首」の歌人で知られる俊恵が住職に就き、日照りや干ばつの際に雨乞いの法要を営んだとされる。
 伝承では、龍神は境内の北東角にあった「板井の清水(池)」の水中から現れた。雨乞いの法要は、龍神像に向かって僧侶が祈祷(きとう)を行うとともに、裸姿の若い男たちが「板井の清水」を龍神像にかけながら像の周りで踊った。すると、祈祷の御利益によって恵みの雨が降ってきたという。
 この雨乞いは、天保年間(一八三〇−四四)の久世の様子を記す史料にも登場する。そこでは、稲が育つようにと福田寺をはじめ三カ寺の住職らが連日、雨乞いの法要を続け、一週間目に初めて雨が降ったと書かれていた。「寺の周囲にはため池などがなく、田植えの後は特に水が欲しかったのでは。当時の人の気持ちが想像できる」と、伝承を調べた前檀家総代の橋本猛さん(八一)。
 龍神像は、目が飛び出し、鼻や口も大きい。垂れ下がった耳を持ち、足の指は二本。身に着けているものはふんどしのみで、引き締まった肉体をさらけ出し、手を前で組んでひざを立てて座っている。何とも異様な姿だ。専門家によると、像は毘沙門(びしゃもん)天の左右に配される毘藍婆(びらんば)の可能性が高く、製作年代も平安前期までさかのぼるという。
 福田寺周辺の宅地開発が進むに伴って田んぼがなくなり、戦前まで続けられていた雨乞いの法要も今では行われなくなった。神田光晴住職(五二)は「寺とともに歴史を刻んできた龍神さん。多くの人に参拝していただければうれしい」と話している。
【メモ】福田寺は京都市南区久世殿城町。JR向日町駅下車、徒歩約10分。TEL075(931)2887。同寺には中国・梁の武帝(6世紀)が安産の守り神として自ら彫刻し、空海が日本に持ち帰ったと伝わる摩耶(まや)夫人像を安置し、七福神の一人、弁財天も祭っている。

【2007年6月29日掲載】

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