京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(117)報恩寺のつかずの鐘(京都市上京区)

織女の悲話に戒め
織女の無念を伝える釣り鐘。除夜の鐘以外、突かれることはない(京都市上京区・報恩寺)
 織屋の町、西陣の一角に浄土宗の報恩寺がある。昔、つらい奉公や夜なべの仕事に励んだ織女(おへこ)たちは、報恩寺の朝夕の鐘で、仕事の始めや終わりの時間を知った。今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」から、悲しい音色と逸話が響いてくる。
 江戸時代、寺の近くに古い織屋があった。店には十五歳の丁稚(でっち)と十三歳の織女が働いていたが、二人はなぜか仲が悪く、顔を合わすとけんかするなどいがみあっていた。ある時、二人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になった。織女は「九つ」、丁稚は「八つ」と主張する。そして間違った方が何でもすると約束した。
 年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて寺男に問うと、正解は織女のいうように「九つ」。そこで丁稚は「今日だけは数を八つにしてほしい」と頼み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けた。
 その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、九つ目が鳴らない。丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首をつってしまう。以来、恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、以来、寺も鐘を突くのをやめ、代々、「つかずの鐘」として伝わってきたという。
 かつて、織女と丁稚の話を再現ドラマにと、テレビ番組で撮影を頼まれ、特別に鐘を突くのを許したことがある。しかし、織女役の女優が鐘楼の梁(はり)にぶら下がろうとしたところ、ささくれた木が手に刺さったというエピソードもある。三十八代目の大橋憲宏住職(六二)は「今の世の中は、家族の間でも悲しい事件や争いごとが絶えず、人同士の対話がない。言い伝えは、煩悩をなくし、みんな仲良く暮らせという戒めだ」と話す。
 境内の一角にある鐘は高さ百二十センチ、直径八十一センチ、重さ一・五トン。平安時代に作られた。江戸時代の大火の中でも残り、重要文化財に指定されている。今では大みそかだけ、法要の後に百八つの鐘が突かれ、参拝客が列をつくる。ボーン、ボーンと美しい余韻をひいて鐘が鳴る。織女の嘆きのようにも聞こえる繊細な音色が風に乗り、今もまちに流れる手機の音と重なる。
【メモ】報恩寺は京都市上京区小川通上立売上ル。TEL075(414)1550。豊臣秀吉が、絵の中の虎が夜中にほえたため聚楽第で眠れなかったという言い伝えがある「鳴虎図」(中国・仁智殿四明陶☆の作)でも有名。同図は、寅年の正月三が日に公開されている。
《注》☆は人偏に、「八」の下に「月」

【2007年7月4日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ