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(118)巨木伝説と灰塚山(栗東市)

穀倉地の歴史、今に
焼いたクリの巨木の灰で塚を作ったとの伝承が残る「灰塚山」。右手前の建物は栗東市出土文化財センター
 栗東市内を走る名神高速道路のすぐ脇に、高さわずか一五〇メートルの「灰塚山」がある。気にとめる人も少ない小山だが、若狭湾にまで届いたほどの巨大なクリの木の灰で塚を作ってできたという、途方もない話が残る。
 クリの木の物語は、旧近江国栗太郡(現栗東市と守山市、草津市、大津市の一部)の名の由来として語り継がれてきた。この地にクリの大木があり、周囲の田畑に影を落として不作を招いた。それを嘆いた人々が天皇に申し出、木は切り倒され焼かれたという。
 平安末期に成立した「今昔物語集」には「栗太郡の大きなる柞(かし)の話」として登場する。なんと太さは五百人が手をつないでやっと抱えられるほど。木の影は朝は丹波国に、夕刻には伊勢国に差した。室町時代の三国伝記によると、何度木を切り倒そうとしても切口は元通りになってしまう。どうも夜に草木の精が傷口を癒やしていたためで、切口から出たこけら(木くず)を焼いて木を倒したそうだ。
 クリの木の伝承は同市小野の万年寺にも残る。元は小野寺といい、寺伝では昔、聖徳太子が朝敵との戦いで近江国を訪れた。相手は強敵で太子は敗走するが、一人の老人が現れ、太子をクリの木の下に隠れさせたという。寺は承和二(八三五)年に、その木の下に開かれた。後に織田信長の焼き打ちにあうが、天和三(一六八三)年に万年寺として再興される。
 小野寺時代からの本尊という秘仏の木造聖観音立像(像高百二十四センチ)もクリの木で彫られているとの話を聞き、仙石龍圓(りょうえん)住職(五二)に真相を尋ねた。すると正しくはヒノキ材という。「本尊もクリの木であればさらに価値があったかもしれないが、寺の由来だけでもロマンがある」と仙石住職。寺の周囲にはクリの木が多く、秋の墓参りの人たちにちょっとした土産を提供している。
 さて、灰塚山だが、隣接する市出土文化財センターによると地質は灰ではなく赤土。木を切り倒すなんて暗い出自ですね、との話に、職員の雨森智美さんいわく、「穀倉地を切り開いた歴史や都の勢力拡大を伝えているのかも」。スケールの大きな話に想像は尽きない。
【メモ】灰塚山は栗東インターチェンジ(IC)から栗東市街方面へ約2キロ、車で約5分。JR草津線手原駅からは市コミュニティバスで「文化財センター前」下車すぐ。日祝日は運休。万年寺(同市小野)の本尊の公開は15年に1回。問い合わせは同寺TEL077(552)0077。

【2007年7月5日掲載】

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