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(121)甘南備寺の薬師如来(京田辺市)

夢で僧を戒める
寺を離れようとした僧を夢で戒めたとされる薬師如来像(京田辺市薪・甘南備寺)
 昔、山城の国の神奈比(かんなび)寺という山寺に一人の僧がいた。僧は毎日熱心に法華経を唱えていたが、都の大寺へ移りたいと思うようになり、翌朝旅立つことを決意して床に就いた。その夜、僧の夢に本尊の薬師如来が現れ「おまえの前世は縁の下のミミズだった。前の住職が法華経を唱えるのを縁の下でいつも聞いていたから、人間に生まれ変わったのだ。そのことを忘れてはならない」と諭した。僧は寺にとどまり、「次は浄土に生まれ変わりたい」と、いっそう精進した−。
 神仏が夢に現れて信心を説く伝承は、洋の東西を問わず各地に残る。冒頭の説話は今昔物語集などに収められているもので、神奈比寺は甘南備(かんなび)寺と名を変えて京田辺市に現存する。
 同寺の前田利明住職(七二)によると、神奈比寺は七二九年、行基によって甘南備山頂付近に開かれた。本尊は正式には「薬師瑠璃光(るりこう)如来坐像」といい、十世紀半ばに慈覚大師が作ったとされる。
 神奈比寺の僧の説話は、平安時代末に「今は昔」と語られるくらいだから、同寺の長い歴史の中でも初期の話と言える。しかしその後、このような霊験あらたかな本尊をまつっているにもかかわらず、同寺は数奇な運命をたどる。
 前田住職は「元は天台宗の寺で、七堂伽藍(がらん)を擁していたらしい。しかし、不便な場所で住職がいなくなり、江戸時代初期までにすっかり荒れてしまった」と語る。二度目の危機の時には、薬師如来はもう止めなかったようだ。
 しかし、今度は村人たちの力で寺は再興される。荒廃ぶりを見かねた村人が一六八九年、薬師如来像と本堂を約二キロ北東のふもとに移し、宇治の黄檗山万福寺から鉄堂禅師を招いて黄檗宗の禅寺として再建した。
 薬師如来像は傷みが激しく、移転時に右腕や足を修復された。いつごろからか耳の病を治してくれる仏として信仰を集めるようになり、本堂前面の壁には「耳が通った」ことにちなんで、穴の空いた石がいくつもつるされている。
 素朴で面白みのある説話を残した薬師如来像は、その後も村人や病の人たちの素朴な信仰心を呼び起こしてきた。現在も「薬師さん」と親しまれ、寺にひっそりと安置されている。
【メモ】甘南備寺は京田辺市薪。TEL0774(62)0358。薬師如来像は本堂前面の窓から拝観可能。徒歩10分ほどで一休禅師ゆかりの一休寺がある。甘南備山(標高217メートル)の山頂の少し下に、元の甘南備寺跡を示す石碑が立つ。

【2007年7月11日掲載】

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