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(124)安養寺の立聞観音(大津市)

毎夜、琵琶を聞く姿
琵琶法師の音色を聞きに寺を抜け出した故事が残る「立聞観音」(大津市逢坂1丁目・安養寺)
 「えっ、『立木』じゃないんですか?」
 「違うんです。『立聞』なんですよ」
 大津市逢坂一丁目の安養寺にある高さ六十センチの小さな木像の前では、しばしば参拝客と住職の間でこんな会話が交わされる。厄よけの御利益で有名な同市石山南郷町の立木観音と名前が似ており、間違える人が多い。
 しかし、立聞観音には名前の由来となった独自の故事が残っている。
 寺の史料によると、平安時代、安養寺の近くの庵(いおり)には「琵琶法師」と呼ばれた盲目の歌人蝉丸が暮らしていた。夜ごとに美しい琵琶の音色を奏でる蝉丸。その後ろに、いつしか墨染めの法衣を着た一人の僧侶が立つようになった。
 蝉丸の庵には、歌人の源博雅が修行に通っていた。名前も名乗らず、毎晩、曲を聞き終わったら立ち去る僧侶のことを不思議に思った源はある日後ろをつけてみた。すると、僧侶は安養寺の観音堂の中に姿を消したという。
 観音像の脇には、「立聞安養寺」と白い文字で書いた額が置かれている。「独眼竜」と称される戦国武将伊達政宗の直筆だ。
 一五七一(元亀二)年。織田信長の比叡山焼き打ちで、安養寺の本堂と観音堂は焼失した。観音像は持ち出されて無事だったが、廃材で造られた仮堂にまつられることになった。
 その後、偶然安養寺で馬を休めた伊達政宗が「有名な立聞観音が、みすぼらしい仮堂に安置されているなんて」と嘆き、家来に命じて新たな観音堂を建てたという。
 「昔は故事を知っていた参拝客がよく来たけど、最近は全然です」と、光林瑞勝住職(六〇)はため息をつく。年間の参拝客は約五十人。以前は芸の向上を祈りに京都・祇園の舞妓が訪れたというが、今は境内にあでやかな着物姿を見ることはない。
 寺の前では国道1号と161号が交差し、トラックの行き交う音が響く。光林住職は「これじゃあ琵琶を弾いても、観音さんには聞こえないだろうなあ」。故事は忘れ去られ、現代の喧噪(けんそう)に囲まれながら、観音像の耳には何が聞こえているのだろうか。
【メモ】安養寺は862年に建立された。立聞観音のほかに、国の重要文化財である阿(あ)弥(み)陀(だ)如来像がまつられている。JR大津駅から徒歩約10分。拝観の際には事前に連絡を。TEL077(522)8734。

【2007年7月18日掲載】

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