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(126)大唐内の甘酒講(綾部市)

恩忘れず続く風習
甘酒講で使われる大きな片口を持つ酒井利栄さん(綾部市老富町)
 「や神さん」と呼ばれる石塚が綾部市睦寄町有安の畑の片隅に残る。数百年前、弓の名人・藤元善右衛門が、約百メートル離れた山上から放った矢が、悪人の胸板を貫いた現場を示す、と奥上林村誌にある。子孫にあたり、塚の近くに住む藤元滋子さん(六九)は「先祖の墓がある家の裏山の頂上から放ったと聞いています」と語る。
 石塚から北北東へ約十キロの福井県境に近い綾部市老富町大唐内(おがらち)でも善右衛門は活躍した。同村誌によると「大蜘蛛(くも)一族」が集落に住みつき、暴虐の限りを尽くした。困り果てた住民は善右衛門にひそかに退治を依頼。その神技で一族を倒した。
 たたりを恐れた住民は聖大明神を建立し霊をとむらうとともに、善右衛門を毎年十月一日の祭礼に招きもてなすことに。これが現在も続く大唐内の伝統行事・甘酒講の始まりだ。善右衛門の好物だった甘酒を藤元家に振る舞う風習が今も残る。
 甘酒講では、住民と藤元家が傘鉾を先頭にして、御幣や甘酒などを携え、聖大明神や薬師堂に参拝。その後、地域の公民館に戻り、甘酒やゆで豆、すりつぶした白米を神棚に供え、宴を開く。甘酒は代々伝わる漆塗りの大きな片口に入れる。片口を保管する酒井利栄さん(七六)は「うっかり車に踏まれてこなごなになってしもうたけど、財産や思うて直し、大切にしています」という。
 甘酒は、以前、大唐内の住民が祭礼の前日から仕込んでいたが、今は購入する形に。一昨年には集落の住民に久しぶりに孫が生まれたため、それを祝って約十年ぶりに住民が甘酒を仕込んだ。「濃い濃い甘酒で、おいしかった」と藤元さん。酒井聖義さん(七九)は「昔は長男に嫁をもらうか、娘に婿をもらうかする家が講を開く講宿をしていたが戸数が減り、長男が生まれれば講宿をすることになった。それも過疎高齢化で守れなくなっている」「嫁や婿が来ると先頭の傘鉾に嫁の着物の帯やお茶の葉の入った一升袋をつるしたり、宿を引き継ぐ戸渡しの儀など行ってきたが、これもなかなかできない。もう一度、本式の講をやりたい」と思いを語る。
 昔の恩に報いる甘酒講は、過疎高齢化で次第に簡略化されながらも続いている。
【メモ】大唐内は25人が暮らす。過疎高齢化が著しく存続が危ぶまれる「限界集落」で、綾部市が「水源の里」として活性化を図る5集落の一つ。大唐内へはJR綾部駅南口から、あやバス上林線で「於身(おおみ)」下車。於身から徒歩で約5キロ。や神さんは同線「上市場」または「君尾山口」下車、徒歩5分。

【2007年7月20日掲載】

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