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(127)陶化小の石敢当(南区)

歴史伝える守護神
高さ3メートルの石敢当。幕末に勧進橋の常夜灯として庶民の安全を守った(京都市南区・陶化小)
 竹田街道から九条通を東に歩いてすぐの陶化小(京都市南区)。校門を入った正面玄関横の植え込みにずっしりと重量感のある石灯籠(どうろう)が立っている。高さ約三メートル。柱となるさお部に「石敢當(当)」と太く力強い字が彫ってある。「せきかんとう」と読む。見ていると、どこか近寄りがたい威圧感がある。
 話は、江戸時代末期にさかのぼる。一九七三年に発行された「陶化校百年のあゆみ」によると、伏見と京を結ぶ竹田街道周辺は農地で人家もほとんどなく、夜になると強盗が通行人を度々襲ったという。その話を室町通松原上ルで木綿問屋を営んでいた藤原源作が聞きつけ、南画家の雨森白水と相談。一八五四(安政元)年、私財を投じて石灯籠を一基作った。守護神としての祈りを込めた白水の筆による「石敢當」の三文字を刻み、常夜灯として鴨川にかかる勧進橋西詰めに立てた。
 もともと石敢当は中国五代晋の武将の名前に由来する。力が強く武勇の気に富み、外敵を防いだことから守護神としてあがめられた。一方、灯籠は仏前に献上する灯明台で、日本には仏教とともに伝えられた。後に標識や常夜灯にも使われるようになり、江戸時代には道路の交通安全の役割も担っていた。
 勧進橋の石敢当は一八六八年の鳥羽・伏見の戦いなどで傷みが激しくなり、八九年には橋の架け替えで撤去された。しかし、地元で保存の声が上がり、村人たちが翌年に修復。陶化小の整備が整った一九〇八年に現在の場所に移された。
 石敢当は、沖縄や鹿児島、宮崎などで今も道路の突き当たりや門、橋などで多く見られるが、京都市学校歴史博物館(下京区)によると、京都府内に残っているのは陶化小の一基だけという。
 幕末。勧進橋の魔よけとして街道の闇を静かに照らし庶民を守った石敢当は役目を終えた。今では陶化小のシンボルとなり、子どもたちを見守っている。学校の前を通る住民が、「見せてください」「写真を撮らせて」などと申し出ることもある。同小の松本敬三校長(五三)は「これまで意識してこなかったが、三、四年生の社会科で地域を知る教材として歴史学習に役立てたい」と話している。
【メモ】京都市南区東九条中御礼町の陶化小TEL075(672)1171は、紀伊郡東九条村の陶化殿を借り、1873年3月、紀伊郡第一区東九条校として開校。93年に校舎の陶化殿にちなみ陶化尋常小と改称。石敢当のほか、竹田街道で牛馬車の車輪幅に合わせレール状に敷かれていた車石の一部もある。校内にあるので見学は職員室に申し出ることが必要。

【2007年7月25日掲載】

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