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(128)吉備真備の囲碁伝承(京都市左京区)

帰国賭け唐で勝負
囲碁を日本に伝えたとされる吉備真備ゆかりの吉備観音。右手には、真備公の木像も安置されている(京都市左京区・金戒光明寺)
 浄土宗大本山の金戒光明寺には、奈良時代の学者、吉備真備(きびのまきび)(六九五?−七七五年)ゆかりの重要文化財「吉備観音」がまつられている。遣唐使の一員として、中国大陸から多くの技術や文化を持ち帰った功労者だが、囲碁にまつわるユニークな伝承がある。
 平安後期の大江匡房(1041−1111年)の談話をまとめた「江談抄」などによると、留学生の真備は、唐の朝廷に才芸を恐れられ、次々と難題を吹っかけられた。その一つが、当時の日本に伝わっていなかったとされる囲碁。唐の名人と対局する羽目になった。
 真備は、遣唐使の仲間で客死した阿倍仲麻呂の化身である鬼から、囲碁で打ち負かして殺そうとする朝廷のたくらみを聞かされる。囲碁のルールさえ知らない真備は、鬼から、急場しのぎの手ほどきを受けた。
 両国の威信をかけた大一番は大接戦となったが、終盤になって真備の陣地が少し足りない。そこで真備はすきを見て、名人に取られた黒石一つを口からのみ込んで、逆転勝ちする。
 焦った名人サイドは、占いの結果、相手が石をのんだと主張。真備に訶梨勒丸(かりろくがん)と呼ばれる下剤をのませたが、真備は術を用いて石を腹から出さなかった。かくして唐の皇帝玄宗も負けを認め、真備の帰国を認めたという。
 これらのエピソードは、平安期の「吉備大臣入唐(にっとう)絵巻」(ボストン美術館所蔵)にも描かれ、真備が日本に初めて囲碁をもたらしたという伝承が生まれた。
 囲碁の日本伝来は、真備の時代より百年以上さかのぼるといわれている。しかし、玄宗時代の唐は、時の宰相が囲碁の道理について問答する様子が複数の文献に記されるなど、囲碁を道教思想に通じる学問として重んじる先進国であった。
 寺伝によると、真備が帰国する際に船が遭難しそうになり、「南無観世音菩薩(ぼさつ)」と唱えたところ、たちまちその難を免れることができた。吉備観音は、真備がその際に唐から持ち帰った香木から、すでに日本に渡っていた唐の高僧行基に頼んで彫らせたとされる。
 寺では、昨年から真備杯と銘打った囲碁大会を始めた。「真備公が、唐で囲碁を学んだのは確かでしょう。先進国の文化を日本に伝えた真備公を功績を伝えていきたい」と橋本周現執事(五一)は語る。諸芸に通じたとされる真備は、相当な囲碁の打ち手だったに違いない。
【メモ】金戒光明寺は京都市左京区黒谷121。TEL075(771)2204。京阪本線四条駅から市バス203系統で岡崎道下車徒歩5分。名神高速京都東インターから車で15分。吉備観音(千手観音菩薩)は、修復を終えた2年前から阿弥陀(あみだ)堂で公開されている。平安末期に後白河法皇が定めたとされ、江戸初期に中興された洛陽三十三カ所観音巡礼の6番目の札所となっている。

【2007年7月31日掲載】

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