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(136)蝉丸と逆髪(大津市逢坂1丁目)

琵琶の音 再会導く
国道沿いにひっそりたたずむ蝉丸神社下社。境内を京阪電車が横切る(大津市逢坂1丁目)
 参道の鳥居の前を京阪電車の線路が横切る。木立に囲まれた境内は、すぐ脇の国道161号を行き交う車の喧騒(けんそう)とは対照的な静けさだ。
 京都方面から大津市街への入り口にある逢坂一丁目の蝉丸神社下社。祭られている蝉丸は、小倉百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」で知られるが、平安前期の人という以外は定かでない。
 ミステリアスな人物像と、都と郊外を隔てる逢坂の関という舞台が、さまざまな伝説を生んできた。謡曲「蝉丸」はその一つ。醍醐天皇の第四皇子とされ、盲目のため逢坂山に捨てられた蝉丸が、髪が逆立つ病気のため宮中を追われた姉の逆髪と再会し、やがて別れるという悲話だ。
 天皇の命を受けた侍従が蝉丸を逢坂山に伴い、出家させたうえ、蓑(みの)や杖(つえ)を与えて去る。孤独に沈んだ蝉丸は、琵琶を奏でることで心を慰める。
 そこへ、逆髪が訪れる。平民の身分に降り、逆立つ髪への嘲笑(ちょうしょう)を受けながら、逢坂山にたどり着いた。粗末な藁(わら)屋から聞こえる気高い琵琶の音に聞き入ると、それは蝉丸だった−。
 蝉丸は琵琶の名手とされ、音曲の神として信仰を集める。同神社は江戸時代には諸国の芸人に免許を発行していたという。昭和以降も「京都や大津の芸妓(げいこ)さんが舞を奉納していたと聞きます」と、近くに住む氏子総代の今井重次さん(七六)は話す。
 琵琶の音が縁になって再会した二人は、手を取り合って互いの境遇を嘆き合う。この間までは宮殿に住み、きれいな衣装を着ていたのに。今は竹柱の藁屋に、藁むしろを敷いている…。
 しかし、逆髪は別れを告げて立ち去る。蝉丸は藁屋の軒から、泣く泣く見送った。逢坂山は歌のとおり、「行く人も帰る人も、顔見知りの人もそうでない人も」会っては別れる場所だった。
 著名な伝説にもかかわらず、参拝客は少なく、老朽化した本殿などの修復もままならない。周辺の人口も減っており、五月のお祭りでは、戦後始まった獅子踊りや稚児行列が数年前から休止状態だ。由緒ある神社が時間のかなたに押し流されそうな現状に、今井さんたちは心を痛めている。
【メモ】蝉丸神社は大津市内に3社ある。「関蝉丸神社」ともいわれる下社は、もともとの祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、嵯峨天皇だったが、のちに蝉丸も加えられた。JR大津駅から国道161号を京都方面に徒歩約10分。このほか、逢坂1丁目の国道1号に沿った山の斜面に上社、大谷町の京阪電鉄大谷駅の北側に分社がある。

【2007年8月14日掲載】

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