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(137)平地地蔵(京丹後市大宮町上常吉)

一揆の首謀者慰霊
悲しい一揆の歴史を秘め、静かに住民を見守る平地地蔵(京丹後市大宮町上常吉)
 京丹後市大宮町上常吉の集落から少しはずれた与謝野町との境目にかかる平地峠。
 そのほぼ中央部の小高い山すそにある平智山地蔵院境内の一角に、穏やかな表情をたたえて府内で最も背が高いといわれる「平地地蔵」が立ち、行き交う人々を温かく見守っている。
 合掌する姿で、高さ五・三メートル。台座も含めると約七メートルもある。
 文政五(一八二二)年冬、この地を支配していた宮津藩の重税などの圧政に耐えかねた農民が決起した「文政丹後一揆」が起きた。
 「義を見てせざるは勇なきなり」と、三万人とも五万人ともいわれる農民たちを率いたとされ首謀者の一人、常吉村出身の吉田新兵衛は、その責めを受けて処刑された。一揆の十一年後、新兵衛らの霊を慰めるために村などから集められた浄財で像は建立されたと伝わる。
 それとともに、一揆の首謀者を弔うことができなかった時代的な背景から、峠に出没する山賊を仏の功徳で退散させるとの名目で作られた、という説も地元には残る。
 平地地蔵は当時、丹後一円に多くの作品を残した鱒留村(京丹後市峰山町鱒留)の石工、松助の代表作とされる。同市文化財保護課の橋本勝行技師は「立像の大きさと交通の要衝に建てられていることなどから、信望の厚かった人物像が浮かび上がる」と話す。
 こうした村の歴史を伝え残す昔からの行事が、毎年七月二十三日夕方から営まれる「地蔵祭」。諸霊を慰める読経などで先人の苦労をしのぶ。また、境内周辺には夜店が並び、静かな山里は今年も歌謡ショーなどが催され、涼を求める参拝客らでにぎわった。
 雪深い土地柄だけに毎年十一月二十三日には、檀家世話人会が、わらで編んだ防寒用のずきんとみのを着せる。この「みの着せ行事」は、丹後の初冬の風物詩としても広く知られている。
 世話人会代表の大木秋男さん(六八)は「先祖供養の意味もあり、大切な地域のシンボル。今は夏の盛りですが、今年も時期になれば春先までの約四カ月間を温かく過ごしてもらえるように心を込めてみのを着せたい」と語る。
【メモ】平地地蔵には口の右上に黒い斑点があり、「あざとり地蔵」とも呼ばれて親しまれている。転じて交通安全や安産など諸願成就の信仰を集め、近隣から参拝者も多い。また、世話人会が手編みで作るみのとずきんは計約60キロの重さ。約4カ月間身にまとい、雪解けの春を待つ。

【2007年8月15日掲載】

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