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(141)天寧寺(彦根市)

五百羅漢に心重ね
500体の羅漢像が壁を埋める天寧寺の仏殿(彦根市里根町)
 仏殿の正面に安置された本尊を囲むように、三面の壁に五百体の羅漢像がまつられている。柔和な表情や険しい顔立ち、まっすぐに真理を究めようとする修行の姿など一体一体が異なるたたずまいを見せている。
 「五百羅漢の寺」として知られる天寧寺の建立は、彦根藩主井伊家の奥勤めで起きた「不義」をめぐる悲劇に由来する。
 十一代藩主直中は文武両道にたけ、新田開発など治世に尽くす一方で、家臣や身内には節約と綱紀の引き締めを厳しく命じた。
 そんな文政二(一八一九)年の春、奥勤めの腰元若竹が子を宿す。相手を問いただす直中に対し、若竹は口を固く閉ざして名を明かさない。「不義はお家の法度」と怒った直中は若竹を手討ちにしたが、後に相手が自分の息子とわかる。
 厳しく断罪した自らの過ちを悔いた直中は、若竹と子を供養するために禅寺の建立を決心し、京の高名な仏師に命じて羅漢像を彫らせた。
 以来、「亡き親、子、いとしい人に会いたくば羅漢堂にこもれ」と言い伝えられ、井伊家だけでなく、家臣や幅広い庶民の信仰を集めるようになった。
 山路信乗住職(五五)は「何時間も静かに羅漢を見つめて過ごす参拝者も多い。似た人の面影を探すというよりは、その時々の自分の心を重ね合わせているのではないでしょうか」と話す。
 直中の孫にあたり、幕末期に幕府大老を務めた十三代藩主直弼も天寧寺にたびたび参詣した。直弼とその参謀格だった長野主膳の二人を愛し、密偵役も担った「たか女」を描いた諸田玲子の小説「奸婦(かんぷ)にあらず」では、天寧寺が重要な舞台となる。激動の時代に身を置く三人が羅漢を前に心を見つめ、人生の行く末に思いをはせる場面が描かれている。
 仏殿のそばに建つ直弼の供養塔には、「桜田門外の変」で非業の死を遂げた時の遺品が納められている。供養塔と長野主膳の墓との間にひっそりとたたずむように、「たか女」の小さな石碑もまつられる。その場所からは、はるか西に彦根城の城山や天守閣の姿を望むことができる。
【メモ】天寧寺は文政11(1828)年に建立された。「五百羅漢」は彦根市文化財に指定されている。10月28日には「五百らかんまつり」が営まれる。井伊直弼の好みでつくられた石州流庭園や16大名から贈られた十六羅漢像も残る。明治期にはイギリス人画家アルフレッド・パーソンズが約20日間滞在し、ツツジや十六羅漢像など境内のたたずまいを水彩画の作品に残した。

【2007年8月22日掲載】

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