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(143)白菊の翁(京都市伏見区)

心清める霊泉の神
白菊の翁の物語を伝える金札宮。金札宮の石柱の奥に、かつて白菊井があった(京都市伏見区)
 伏見には、いくつもの名水がある。金札宮(きんさつぐう)にかつてあった名水「白菊井」は、平安京ができる以前の物語が伝えられている。
 金札宮の縁起によると、天平勝宝二(七五〇)年に大きな流れ星が降る異変があり、孝謙天皇は深く憂慮していた。そのころ、伏見の久米の里に、白菊を育てている翁(おきな)が住んでいた。里の人が名前をたずねたところ、「われは太玉命(ふとだまのみこと)」と名乗り、「豊かな秋を喜び、白菊をめでてきた。干天で稲が枯れるときには、白菊の露を注ごう」といって手に持った白菊を打ち振るい、たちまちに清水がわき出た。この話を聞いた天皇が、金札白菊大明神の直筆の書を里人に与え、社殿が造られたという。
 太玉命は、天照大神の岩戸幽居の際、太玉串をもって祈願した神で、「邪悪な心をおはらいして新しい心に清めてくれる神で、霊泉とも結びついています」と棚橋士治宮司は語る。金札から大金をイメージする人もいるが、むしろ金銭欲を洗い清めてくれる神なのだ。
 金札宮のかつての社殿は、現在の伏見板橋小のあたりにあったとされる。伏見城築城に際して北東の鬼門の方向に移されるなど幾多の変遷を経て現在に至っている。
 白菊の翁の物語を伝える白菊井は以前、境内にあり、昭和四十年ごろまでは水が出て手水としても使われていた。しかし、いまでは井戸に組まれていた石だけが残されている。
 枯れてしまった白菊井を復活させようと、伏見板橋小の校内に一九九〇年に井戸が掘られた。「白菊の井戸」と名付けられ、子どもや地域の人たちに親しまれている。
 白菊のおきなとして現れた太玉命の後の物語が、世阿弥作の謡曲「金札」に伝えられている。
 桓武天皇の命で伏見に神社を造営中、勅使が伏見に出向いた際、天から金の札が降ってきた。札には「永く伏見(伏して見る日本)に住み、国土を守らん」と記されていて、「われは天太玉命である」との声が聞こえたという。
 四十年ほど前に一度、金札宮に舞台が作られて謡曲が演じられた。「夜の闇の中に金札が舞い、神秘的な雰囲気でした。いつかまた、境内にも井戸を復活させ、『金札』を上演できれば」と棚橋宮司は話している。
【メモ】金札宮は、伏見で最も古い神社の一つで、白菊の翁の物語の750年の創建とも、橘良基が貞観年間(859−876)に勧請したとも伝えられている。室町時代の「伏見九郷之図」には本殿と諸建物が描かれ、応仁の乱までは御香宮に匹敵する規模があったとされる。1604年に喜運寺が創建された際、鎮守社として現在の地に移転、明治の神仏分離で独立して現在に至っている。

【2007年8月28日掲載】

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