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(144)お千代と半兵衛(精華町植田)

板挟みの末に心中
並んで立つ享保年間の墓石(手前)と安政年間の墓石(京都府精華町・来迎寺)
 京都府精華町植田の来迎寺。ある夫婦とその子の墓が立つ。夫婦とは近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)」の主人公、お千代と半兵衛のモデルになった男女だ。
 作品は義理と愛情の板挟みになった半兵衛・千代夫婦が心中へと向かう姿を描く。近松七十歳の作品で、最晩年の世話物。モデルの心中事件は一七二一(享保六)年、大阪で起こった。
 大阪新靱油掛町(しんうつぼあぶらかけちょう)の八百屋半兵衛。武士の出だが、八百屋の養子になった。半兵衛の嫁が上田村(現精華町植田)の豪農島田平右衛門の二女千代。二人は仲むつまじく暮らし、千代は妊娠四カ月。
 しかし、幸せな生活は続かなかった。しゅうとめは千代と折り合いが悪く、半兵衛の留守中、勝手に千代を実家に帰す。平右衛門は「半兵衛が自分の留守中に親に追い出させた。親に自分の罪を塗りつける不孝者」と責める。半兵衛は腹を切ってわびようとするが、恩のある義母の非を世間にさらすことになる。半兵衛は弁解せず、ただ千代を連れ帰る。
 半兵衛は千代をかくまう。それを知ったしゅうとめは怒る。「世話してやった親が嫌う女房に孝行を尽くし、親に不孝を尽くす恩知らず」とののしる。
 嫁を憎んで追い出したとあっては義母の悪名は甚だしい。「千代を呼び戻してください。自分が離縁しますから」と頼む半兵衛。「その約束破ったら死ぬからね。母を殺すか、女房を離縁するか、あんたの勝手次第」としゅうとめ。義母への恩と平右衛門への義理、そして千代への愛情。どれも捨てられない。三筋四筋の涙の糸がほおを伝う。
 半兵衛は千代と死ぬ決心をする。「あなたの孝行の道が立てば心残りはない」と従う千代。庚申の夜、生国魂(いくたま)神社(大阪市天王寺区)の境内で半兵衛は来世での再会を誓い、身重の千代を刺し、切腹する。
 平右衛門は娘夫婦の死を悼み、島田家の菩提(ぼだい)寺、来迎寺に墓石を建てた。寺には享保年間の墓石と安政年間の二代目の墓石が並ぶ。
 墓石には半兵衛と千代、そして千代の腹にいた子の戒名が刻まれている。「普段は訪れる人も少なく静かです」と同寺の伊藤順芳住職(六四)は話す。悲しい心中を遂げた二人とその子が静かに眠る。
【メモ】来迎寺の最寄り駅は近鉄新祝園駅。駅西口前の府道を南に向かい、約400メートル。享保年間に建てられた墓石は角が取れ、小さく丸くなっている。伊藤住職によると、せんじて飲めば女性の更年期障害に効果があるなどとされ、寺を訪れた人々が削って持ち帰ったためだという。

【2007年8月29日掲載】

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