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(148)吉原の万灯籠(舞鶴市)

海神の怒り鎮める
真夏の夜を鮮やかに彩る「吉原の万灯籠」(舞鶴市・伊佐津川)
 田辺城の城下町として栄えた西舞鶴の市街地を流れ、舞鶴湾に注ぐ伊佐津川。河口の大和橋付近では、毎年八月十六日、川の中で火のついた巨大な灯籠(とうろう)を回す「吉原の万灯籠(まんどろ)」が催される。川面に赤い炎が浮かぶ火の舞は、約二百八十年前の江戸時代中期から続く。
 吉原地区は漁師町として栄えた。海への信仰心と地元の愛宕信仰が結びついた火祭りは豊漁や海上安全への祈り、魚の鎮魂などを込めるという。言い伝えでは、享保年間(一七一六−三六)にクラゲの大発生で漁に出られない漁師が海神の怒りを鎮めるため、大火を海でたいたのが始まりとされる。文献などの記録はないが、半世紀以上前から参加を続ける宮本熊一さん(七四)=西吉原=は「子どものころにそう教えられた」と言い、地区では今も子どもたちに伝承を語り継ぐ。
 市史などによると、城下町に魚を届ける漁業関係者の地域として発展した「猟師町」で一七二七(享保十二)年に田辺大火事が起こり、同町は翌年に伊佐津川右岸の現在地に移った。地元郷土史家の加藤晃さん(六二)は「愛宕信仰は江戸時代初期に広まった。前年の大火もあり、火事も多かった地区で防火の思いが込められたのではないか」と解説する。
 祭礼当日の午後八時前、愛宕権現を祭る円隆寺(引土)から御神火を授かった青年たちが駆け足で橋上流の川辺に到着。太鼓の音色に合わせ「ワッショイ」とかけ声をあげながら、高さ約十五メートルにもなる魚型の灯籠を抱えて川に入る。腰まで水に入った男たち約五十人が水かけ役や棒を押す役に分かれ、火の粉を浴びながら灯籠を回転させる。十四カ所にともされた火が真夏の夜空に舞い、観客を魅了する。
 地区は高度経済成長期を機に姿を変え、漁業関係者の数は大きく減少した。青年団が中心だった行事も保存会の手へ。山田峰三六会長(五七)は「若い担い手が少なくなったが、それでも祭りには、よそへ出ていった人も戻ってくる。小学生から高齢者まで参加する祭りは、達成感を味わえる」。住民が団結するきずなの役割も大きくなった。
 押し手の息が合わないとすぐに倒れてしまうが、今年は十五分以上、勢いよく回転を続けた。宮本さんは「これだけ回るのは何十年に一度。観客が喜んでくれるのが何よりで、これからもずっと続いてほしい」と話す。
【メモ】「吉原の万灯籠」は府登録無形民俗文化財に登録されている。当日、伊佐津川の川辺では午前7時ごろから1日がかりで、竹を縄で魚型の灯籠にに組み上げる作業が見られる。大和橋へはJR西舞鶴駅から車で約5分。

【2007年9月5日掲載】

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