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(151)梅宮大社のまたげ石(京都市右京区)

子授けの霊力信じ
年間1000組以上の男女が参拝する「またげ石」。晩婚化の影響か、最近は30代後半のカップルが多いという(京都市右京区・梅宮大社)
 祈とうの後、三回またぐと子どもが授かる−。そんな言い伝えから「またげ石」と呼ばれるようになった石が、京都市右京区の梅宮大社に残る。平たく長細い石の上に卵形の石が二つ。形の由来や来歴を詳しく記した史料はないが、子授けの霊験を求めて毎年千組以上の男女が参拝する。
 社伝によると、言い伝えの起源は平安期にさかのぼる。皇子を授かりたいと切望した壇林皇后(嵯峨天皇妃)が、子授けの神をまつる同神社を参拝。その折、境内にあった二つの石をまたいだところ、皇后は間もなく懐妊し、八一〇(弘仁元)年に仁明天皇が誕生した。
 以来、長きにわたって子授けの霊力があると信奉されてきたが、全国的に注目が集まったのが約二十年前。著名な俳優が、またげ石に祈願して子と孫を得た体験を発表したことから参拝者が激増し、ピーク時には年間三千組に達した。テレビ局の取材に応じて、何度も石をまたいだカップルに双子ができたという話もある。
 祈とうは男女そろってしか受けられず、石をまたぐのも二人一緒に。こうした方式になったのは実はここ五十年ほどのこと。改定したのは現在の橋本以裕宮司(六七)の先々代にあたる宮司だという。「男女同権の時代を迎え、子を産み育てるのは女性の仕事という見方は過去のものになった。男性も育児や家庭運営に積極的にかかわるべき、との考え方を取り入れたのでしょう」と橋本宮司。
 石をまつる場所にも変遷がある。京都府井手町付近にあったとされる神社を、今の場所に移したのは壇林皇后。その時、石も一緒に移ってきたのか、あるいはもともとこの地にあった石をまたいだのか、明確に記録されないまま時は流れ、神社内のどこに石が置かれていたのかがはっきりするのは明治期になってから。一八九五(明治二七)年作成の絵図を見ると、本殿を囲む玉垣の外側。木立の中に安置場所があったようだ。
 玉垣外なら、祭礼関係者以外でも立ち入れる。橋本宮司は「かつて『三年子なきは去れ』という言葉があったように、少し前の時代まで、子どもができるかどうかは女性にとって死活問題だった。昔は、夜中に人目をしのんで来る人が多かったのではないか」。
 戦後、現在地に移されてからは、またげ石参拝は昼間に祈とうとセットで行われるようになった。不妊の悩みを女性が一人で抱えていた時代から、夫婦で共有する時代へ。男女の意識の変化とともに、これからも石のまたぎ方は変わっていくのかもしれない。
【メモ】梅宮大社は京都市右京区梅津フケノ川町30、TEL075(861)2730。阪急電鉄嵐山線松尾駅から徒歩15分。酒造祖神、授子安産の守護神などをまつる。またげ石参拝を含む授子祈とうは7千円。当人の夫婦そろってのみ受け付け、代参は不可。

【2007年9月11日掲載】

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