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(153)折上稲荷(京都市山科区)

働く女性の守り神
働く女性の守り神として信仰を集めてきた折上稲荷神社(京都市山科区)
 車両が行き交う京都市山科区の新十条通。通り沿いにそびえる巨大な工場のかたわらに、折上稲荷(おりがみいなり)神社は静かにたたずんでいる。「働く女性の守り神」として知られ、毎年六月の稲荷祭では、みこしの担ぎ手の中に女性の姿も交じる。
 神社に伝わる文書によると、女性の守護として広く名が知られるきっかけとなったのは江戸時代末のことだ。孝明天皇が即位する際、長橋局を初めとする宮中の女官が次々と「たやすからぬ病」にかかり、大嘗祭(だいじょうさい)も行えない状況になった。すでに女性の守り神として信仰されていた折上稲荷に祈祷(きとう)が命じられ、三十七日間の祈祷を行った末に女官たちの病気は治まった、とされている。
 以後、天皇が東京に移るまでは毎年女官が参拝に訪れるとともに、折上稲荷から「不浄除守(ふじょうよけまもり)」とお札を宮中に納めていたといい、その版木は今も神社に保管されている。また、孝明天皇から下賜された「長命箸(はし)」が本殿にあり、毎年十二月には「長命祭」が執り行われている。
 女性の守り神とされてきた理由は「その名前にある」と、稲川昌実宮司(四五)は話す。「『折上』の名前が『織り上げる』や『髪』に通じることから、女性や織物関係者の信仰を集め、江戸時代中期には織物屋の奥さんなどがお参りに来ていたようです」。その当時に奉納された、西陣織をあしらった金屏風(びょうぶ)や、西陣織の袋などが今も同神社には残されている。
 今でも守護を求めて、同神社を参拝する女性の姿は絶えないが、時代とともにその職業も変わってきた。舞妓が参拝する姿はなく、織物関係の参拝者も年々、少なくなってきている。最近では、旅館のおかみさんや会社勤め、起業した女性の参拝が多いという。
 稲川宮司は「西陣織にしても、仕事を裏方の部分で支える女性たちがいた。昔から働く女性の姿があったことこそが、信仰の土台となっていると思います」と静かに話した。
【メモ】折上稲荷神社は、伏見稲荷の稲荷大神が稲荷山の次に降りた場所として、同大社の「奥宮」とされる。その降り立った地とされる境内の稲荷塚は、縄文―室町時代の複合遺跡「中臣遺跡」の現存する古墳の一基で、京都市史跡に指定されている。本殿横には、祭神のお供の三頭の白キツネをまつる「三九郎稲荷」があり「お金」「人間関係」「健康」の人生の「三苦労」に報いてくれる。

【2007年9月13日掲載】

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