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(155)神蔵寺の頼政伝説(亀岡市)

繁栄と荒廃 見届け
源頼政の伝説を今に伝える薬師如来坐像(中央)。僧侶が手に持っているのは、秘仏の金銅如来坐像=亀岡市☆田野町・神蔵寺
 穏やかに目を閉じて足を組む仏像が一体。ひざの上に置いた左手の小さな薬壺(つぼ)には、像高四・二センチの秘仏「金銅如来坐像(ざぞう)」が収まっている。平清盛に反旗を翻して挙兵した源氏の長老、源頼政(一一〇四−八〇)のかぶとに取り付けられ、その死を見届けたという。
 亀岡市☆田野町の神蔵寺が所蔵する「薬師如来坐像」(国指定重要文化財)は、伝教大師最澄が比叡山根本中堂の仏像と同木で彫ったとされる。寺の荒廃や焼き打ちをくぐり抜け、源頼政の命運にかかわる伝説を現代に伝えている。
 頼政は怪物「鵺(ぬえ)」退治の武勇伝で知られる。平氏に味方し、清盛の推挙で従三位に昇進した。政権中枢から排除されていた当時の源氏方では異例の人事。その頼政が一一八〇年、以仁王と通じて平家打倒を企てた。
 「平家ヲ亡ス為メ起兵廻文アリ」−。神蔵寺の縁起には、寺の僧兵に頼政から挙兵を促す知らせが届いた、との記述が残る。
 同寺は当時、天台宗寺院として一大勢力を誇り、二十六もの僧坊を抱えていたという。一説には千五百人ともされる僧兵が頼政に呼応して出陣。その際に寺の財宝を隠したとされる本堂そばの谷は今でも「長者ケ谷」と呼ばれ、かつての寺の繁栄を伝えている。
 結局、敗れた頼政は宇治の平等院で自害。僧兵たちも敗走した。頼政の形見として「金銅如来坐像」が寺に届いてほどなく、薬師如来に災難が降りかかるようになった。
 清盛が寺領を没収し、一棟のお堂と秘仏を収めた薬師如来が残るのみ。寺は荒廃した。約五十年後に再興されたが、今度は一五七五年、丹波を攻略した明智光秀の焼き打ちに遭う。寺の建物はすべて焼失した。
 しかし、薬師如来は生き残った。明智軍襲来の折、何人かが仏像を運び出して菰(こも)に包み、本堂の脇を流れる川の底に隠したのだ。難を逃れた薬師如来は一六五三年に再び寺が再興された際に本尊として祭られた。寺の脇を流れる清流を「菰川」と呼ぶのは、この伝説に端を発するという。
 薬師如来は年に一度、ご開帳される。「川底に身を潜めていた時に傷んでしまったのでしょうか」。同寺の松本義啓副住職(三四)はいたわるように、黒ずんだ胴体を見やる。代々、仏像のそばには縄を置いている。「万が一の際に仏像を運び出せるようにするため」だそうだ。

【注】「☆田野町」の☆は草冠に「稗」
【メモ】神蔵寺は、1679年から臨済宗。アクセスは、JR亀岡駅から京阪京都交通バスに乗車し、国道佐伯バス停でいったん下車。亀岡市ふるさとバスに乗り換えてグリーンハイツ口停留所から徒歩10分。自動車では、京都縦貫自動車道・亀岡ICから10分。

【2007年9月19日掲載】

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