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(157)赤穂義士遺髪塔跡(京都市上京区)

46人しのび 碑建立
赤穂浪士の遺髪塔があったことを伝える石碑(京都市上京区・大日本スクリーン製造)
 堀川通と紫明通の交差点を南へ行くと、西側の歩道沿いに石碑が立っている。碑には「赤穂義士四十六士遺髪塔跡」の文字が刻まれている。この地には「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士が仕えた浅野家ゆかりの瑞光院(京都市山科区)があった。遺髪塔の由来は瑞光院に伝わっている。
 赤穂浪士の吉良邸討ち入りから二カ月半後の元禄十六(一七〇三)年二月初旬、浪士たちを預かっている各大名家を瑞光院の使いの僧が訪れた。処罰を待つ浪士たちの髪をもらい受けるためだった。瑞光院は、浅野家の家老だった大石内蔵助良雄の遺志を受けて境内に遺髪を埋め、浪士四十六人の名前や戒名を記した石塔を建立した。
 瑞光院は赤穂浅野家の祈願寺で、浪士たちが仕えた主君浅野内匠頭長矩の妻と遠縁の和尚もいた。吉良上野介に切りかかり、切腹した浅野内匠頭の遺品を埋葬したとされる墓もあり、墓参した浪士たちが討ち入りについて話し合ったと伝わっている。
 慶長十八(一六一三)年創建の瑞光院境内は、かつては約二千坪(約六千六百平方メートル)の広さだった。四十五年前、隣接する大日本スクリーン製造の工場拡張に伴い山科区に移転したが、石碑の周辺に「瑞光院前町」の地名が残っている。住職の前田英覚さん(七五)は「遺髪塔の移設の際、塔の下から掘り出したあめ色の器の中には、確かに毛髪の束が入っていた」と振り返る。
 石碑は、赤穂浪士ゆかりの寺院がこの地にあったことを後世に伝えようと、二年前に同社が敷地内に建てた。歩道から見える位置にあり、「忠臣蔵ファンの姿もよく見かける」(広報室)という。碑文は前田さんが揮毫(きごう)した。石碑を見てから瑞光院まで足を運ぶ人もいる。
 山科区には、大石神社など大石内蔵助にかかわる社寺がある。毎年十二月に開かれている「山科義士まつり」では、赤穂浪士の行列の代表者らが瑞光院を訪れるという。「山科に移ったのは偶然だが、さらに赤穂義士にゆかりの深い寺院になった」と前田さん。「今年も討ち入りの日が近づくに連れ、遺髪塔を訪れる人が増えるだろう」と話す。
【メモ】浪士のうち寺坂吉右衛門は自害していないために遺髪塔に刻名がないとされている。瑞光院は京都市山科区安朱堂ノ後町19ノ2、JR山科駅から徒歩約15分。境内の遺髪塔や浅野内匠頭長矩の墓は自由に見学できる。

【2007年9月21日掲載】

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