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(158)君ケ嶽大五郎墓(福知山市)

怪力力士が伝説に
国道176号沿いに立つ碑。運動会帰りの親子が見上げながら通過した(福知山市雲原)
 福知山市の山間部・雲原地域の国道176号沿いの斜面に、大人の背丈ほどの自然石の碑が立つ。風雪を受け、表面はまだら模様に。「君ケ嶽(きみがだけ)大五郎墓」と刻んだ文字がかすかに読み取れる。
 碑の近くに住む会社員曽根毅之(たかゆき)さん(四五)は「雲原の人で結構強いお相撲さんだったそうです」と誇らしげに語る。地元では長年、郷土物語「ちから桃」の主人公・仙吉に君ケ嶽を重ねてきた。
 物語の粗筋はこうだ。仙吉は幼いころに両親を亡くし、農家に雇われた。ある日、主人のお供で上方へ行き、相撲巡業を目にする。たくましい体をぶつけ合う姿にほれ、以降、意識を失うほど鍛錬し、神様のお告げで不思議な桃を食べて立派な力士に成長。暴れ牛をねじ伏せる怪力で、丹後や丹波、但馬で負け知らずだった、という。
 だが、郷土史に詳しい糸井嘉宏さん(七〇)は「物語はあくまで物語。君ケ嶽大五郎は明治期の京相撲の幕内力士で、富山県出身。四十四歳で亡くなるまでの数カ月を雲原で過ごしました」と話す。
 二十年ほど前、君ケ嶽の親族が墓参りで雲原を訪れた際に案内役を務めた。親族は、君ケ嶽が七尺(約二・一メートル)近い大男で、農業が嫌いで三十歳を過ぎて京に出たことや、関取になり体を壊して行方不明になったことを紹介。碑を取り上げた京都の相撲機関誌と、前頭八枚目に名を連ねる明治二十七(一八九四)年の番付表を広げてみせた、という。  君ケ嶽は雲原で何をしていたのだろう。
 糸井さんは、碑の正面左下に刻む「世話人 橋本長兵衛」に注目し、「長兵衛の用心棒をしていたのではないか」と推測する。長兵衛は、宮津と福知山、兵庫県などの中継地で宿場町として栄えた雲原で賭場を仕切った侠客だ。
 裏付ける証言もある。語り部の高山幸作さん(七五)は「明治二年生まれの祖父が生前、三岳川沿いのばくち場で、大きな大きな男が水まきをしていたと懐かしんでいた」と振り返る。  君ケ嶽大五郎は明治二十八年に亡くなり、その後、物語が生まれた。作者は誰で、なぜ脚色する必要があったのか。古老たちにも、理由は分からない。
【メモ】福知山市と与謝野町を結ぶ「与謝トンネル」から福知山方面に約2キロ。碑は高さ約160センチのヒョウタン型。「西京男山幕内力士 本名村上文作ト云フ力量誠徳世誉」と記し、橋本長兵衛ら世話人3人の名が続く。本文中の相撲機関誌は「すもうファン」(1978年12月1日付)。

【2007年9月26日掲載】

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