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(161)雀塚(京都市左京区)

歌人実方の霊慰め
雀に姿を変えたとされる藤原実方の霊を慰める「雀塚」(京都市左京区・更雀寺)
 岩倉から鞍馬に向かう道筋に立つ更雀寺(きょうしゃくじ)の山門をくぐると、日を受けた境内に小ぶりの五輪塔が静かにまつられていた。平安中期の歌人藤原実方(さねかた)ゆかりの「雀塚(すずめづか)」だ。東北に没した実方が、死後、雀に姿を変えて都に戻ってきたという伝承が残る。同寺では「実方化雀(けじゃく)塔」と伝わる。
 藤原実方は、小倉百人一首「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」の歌で知られる中古三十六歌仙の一人。九九五年、天皇の面前で藤原行成と歌について口論となり、怒りのあまり持っていた笏(しゃく)で行成の冠を打ち落とした。行成は取り乱さず、事を荒立てなかった。このため、天皇は実方を奥州・陸奥守に左遷した。
 三年後、実方は道祖神の前を馬に乗ったまま通って落馬し亡くなった。ある日、藤原家の学舎(まなびや)である勧学院の住職観智上人の夢枕に一匹の雀が現れた。そして「我は実方なり。身は陸奥に没したが、魂は雀となって、都に戻ってきた。朝は台盤に遊び飯をついばみ、夕方には林の中で翼を休める。勧学院は藤原家の学校で、往時をしのんで止宿する。我がために誦経(ずきょう)せよ」と告げた。翌朝、上人が境内の林の中を見ると、一匹の雀が死んでいた。上人は、実方の変わり果てた姿と塚を築き、その霊をなぐさめたという。
 その後、勧学院の名も雀にちなんで「更雀寺」とあらためられた。もともとは、中京区西ノ京勧学院町にあったが、江戸時代に四条大宮に移り、三十年前、当地に移転した。創建当初は大・小の堂宇が並んだが、度重なる火災などで徐々に縮小されていったという。それでも、雀塚は代々守り伝えられている。
 こけむした石塔の周りには、いま、陶芸に携わる檀家が納めた焼き物の雀が十数羽遊んでいる。短歌や俳句に親しむ人だけでなく、実方が没した宮城県などからも、おりに触れて参拝に訪れる人が絶えない。杉本英凖住職(五一)は「一風変わった名のお寺の歴史を伝える塚。大切に守り伝えていきたい」と話している。
【メモ】藤原実方は、風流才子としての説話が伝えられ、宮廷生活の交友歌や恋歌、贈答歌などを数多く残している。石清水臨時祭の舞人を務めたり、清少納言や小大君らとも交際があったとされ、「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルの一人にもあげられる。

【2007年10月2日掲載】

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