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(162)歯痛神(宇治市宇治)

箸供えて治癒祈願
明智光秀が隠れたとも伝えられる竹やぶや門前から移した石橋が残されている専修院(宇治市宇治)
 宇治橋を西へ、宇治茶問屋はじめ老舗が並ぶ宇治橋通商店街を抜けると、目の前に急坂が現れる。新茶シーズンを彩る県(あがた)祭に続く大幣神事で厄よけの馳馬(はせうま)が行われる宇治一ノ坂だ。今は住宅街に囲まれた坂の中腹にたたずむ専修院(宇治市宇治)には、かつて宇治郷の西の境界とされたこの地ならではの言い伝えが残されている。
 「いつからか分からないが、周辺の古いお年寄りに伝わっているようです」と話すのは福本哲了住職(六二)。本堂の奥に見える竹やぶわきの墓地に建つ板碑が歯痛を治してくれるというのだ。もともと供養碑だが、日ごろ使っている箸(はし)を供えて治癒を祈願する習わしがあるという。
 いわれは諸説あるようだが、宇治市史にも紹介されているのが明智光秀の伝承だ。本能寺の変の後、山崎の合戦で敗れた光秀は小栗栖(京都市伏見区)で農民らに襲われて死んだとされているが、これは影武者で、山崎から東の巨椋(おぐら)池を渡って専修院付近に落ちのびたというのだ。
 光秀は追っ手を逃れるため境内のやぶの中の板碑の陰に隠れ、住職は敵勢に知らせずに助けた。これに光秀が感謝し、立ち去り際に「歯痛や発熱の際には必ず治癒するであろう」と告げたと伝えられている。
 福本住職は「先代からは源平の宇治川の戦いで敗れた残党だとも聞いたことがある。竹やぶが裏山に続いていたからかも」と話す。ただ、歯痛神としての信仰は地元住民に受け継がれていった。治癒した時には新しい箸を供えるが、近年は子ども用の先割れスプーンや歯ブラシを供えていく人もいるという。
 光秀にしても平氏にしても敗走者とのゆかりは、近隣の地名にもみられる。いまは目にできないが、専修院の北側には追手川と呼ばれる川が流れており、宇治から奈良へ向かう街道に石橋が架けられていたという。
 「この橋さえ渡れば逃げ通せると言われたらしい。子どものころは木々が茂って怖いような山道でした」。近くの製茶店主田原康男さん(五九)は話す。宇治橋をめぐる橋合戦をはじめ、交通や軍事上の要衝として幾多の戦いの舞台となった宇治らしい伝承なのかも知れない。
【メモ】JR宇治駅から徒歩約15分、府道宇治淀線沿いにある。旧宇治郷の西の出入口にある浄土宗専修院は古くから道祖神があり、平家追討に挙兵した高倉宮以仁王ゆかりの「鞍掛けの神」と呼ばれていた。現在、境内の本堂前に架かる石橋は1712(正徳2)年に門前にあった追手橋を移したとされている。

【2007年10月3日掲載】

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