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(163)武信稲荷神社のエノキ(京都市中京区)

龍馬、愛の伝言刻む
龍馬とおりょうの出会いを導いたエノキ。今も縁結びを願う人が絶えない(京都市中京区・武信稲荷神社)
 一本の大木を舞台にした、坂本龍馬と妻おりょうのロマンチックな口伝がある。江戸時代末期、龍馬は追っ手から逃れるためおりょうと離れ離れの日々を送った。二人の思い出の場所でエノキの木肌に、伝言として「龍」の字を彫り、晴れて再会を果たす−。武信稲荷神社(京都市中京区)の御神木でもある樹齢八百五十年のエノキは幕末の混乱期、悠然と二人の愛をはぐくんだ。
 同神社に伝わる物語は当時、目の前に幕府直轄の六角獄舎があったことと深い関係がある。おりょうの父・楢崎将作は勤王の志士を支援した医師。一八五八年に始まった安政の大獄でこの獄舎に捕らえられた。おりょうは父を心配し恋人の龍馬と向かう。だが面会は難しく、二人は高いエノキに登って安否を探ったとか。仲尾宗泰宮司(三三)は「ここは数少ない二人の大切な場所だったのかも」と推し量る。出会いは将作亡き後の一八六四年との説もあるだけに真偽は不明だ。
 幕府に追われる龍馬は京都で生きているとの証しに、目印に代えてエノキに名前に共通する一文字を彫った。おりょうが思い出の場所を訪ねると見慣れた文字がそこに…。龍馬が京都にいることを知ったおりょうは共通の知人を介して再会できたという。
 この逸話から、縁結びの御利益にあやかろうと今も木に手を当てる参拝者が絶えない。仲尾宮司は「二人とも互いの思い出が残るここに自然と足が向いたのでは。龍馬の字は癖が強かったので、おりょうさんは見逃さなかったのでしょう」と二人が生きた約百五十年前に思いをはせる。
 エノキは、平安末期に平重盛が安芸の宮島・厳島神社から苗木を移植したと伝わる。今では京都市の天然記念物に指定され、高さ約二十三メートル、幹回り四メートル。太い枝が四方に各十メートルほど伸び小山のような姿を作る。
 禁門の変(一八六四年)に乗じ六角獄舎で大量の処刑が行われた際は、子供たちがエノキによじ登って見たとも伝わる。今も境内や木の周りでは子供が駆け回り、本殿や木の前で参拝者が手を合わせる。エノキは「縁の木」とも呼ばれ、縁結びの御利益が伝わる。龍馬とおりょうを導いた力は、今も多くの人の心を引きつける。
【メモ】神社は859年、右大臣の藤原良相が、一族の療養施設として建てた「延命院」の守護神として創建した。後に藤原武信が厚く信仰し、名前の由来となる。古くから「勝駒」という駒形の守護札が伝わり、スポーツ選手や選挙関係の参拝者も多い。阪急四条大宮駅から北へ徒歩5分。拝観無料。

【2007年10月4日掲載】

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