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(165)津田天満宮(近江八幡市)

道真の伝承 身近に
菅原道真が彫った神像がご神体になっている津田天満宮(近江八幡市南津田町)
 琵琶湖にほど近い近江八幡市南津田町には、大宰府へ流される途中の菅原道真(八四五−九〇三)が立ち寄ったとされる津田天満宮がある。
 道真は、平安時代に活躍したが、秀才ぶりを疎まれて京都の朝廷から九州の大宰府へ左遷された。「天神様」として知られる道真の有名な故事だ。
 しかし、京都からどうやって九州へ?
 近江八幡市は京都からは九州と反対の方向にある。言い伝えでは、当時五十七歳の道真は老体で足も弱かった。馬の提供を受けることもできず、舟で琵琶湖を渡り日本海へ出ることにし、二月一日に京都をたったが湖上で遭難。現在の同市南津田町付近に上陸したという。
 この天満宮の神事の世話をする「宮仕(みやし)」の速水貞夫さん(六二)は、「旧暦の二月といえば早春に当たる。北風が強く、この付近の浜に打ち上げられたのではないか」と話す。にわかには信じ難いが、その伝説を裏付けるものも多く残る。
 津田天満宮から南西に四百五十メートルほど離れた民家の軒先には、道真が腰掛けたという石が残る。また、同天満宮のご神体になっている神像は、この付近に立ち寄った際に、道真が自分の姿を似せて彫ったという。
 このご神体を尊敬の気持ちを持たないで見ると、家が途絶えるという伝承もあり、道真が立ち寄ったという伝説を信じないわけにはいかないようだ。
 天神信仰の中心、北野天満宮(京都市上京区)の湯浅典男禰宜(ねぎ)(五七)は、「京都から大宰府への経路は分かっていないものの、琵琶湖を経由することは考えられないと思う」とする一方で「伝説があって信仰されているのは興味深い」と言う。
 速水さんは、道真が大宰府に流された理由について「娘婿を天皇にさせようとしたからだ、と書物で読んだ」と話す。
 娘婿を天皇にさせようとし、集落を訪れ、路傍の石に腰を掛け、神像を彫ったという天神様。地元住民の言い伝えからは、神というよりは、約千百年前に実在した身近な人間としての道真像が浮かび上がってくる。
【メモ】津田天満宮がある南津田町の集落はかつては入り江に面しており、船着き場があったという。しかし、戦後の干拓などで入り江は水田に変わり、現在は湖岸から約1キロ距離がある。縁日の毎月25日に月例の神事が営まれるほか、菅原道真没後25年ごとに「万灯祭」、50年ごとに「大祭」が開かれている。

【2007年10月10日掲載】

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