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(167)平安女学院の古井戸(京都市上京区)

道真の産湯と伝え
れんが塀の向こうは菅原院天満宮。こけむした井戸の周りはひっそりとして、訪れる人は少ない(京都市上京区)
 生徒のにぎやかな声が響く京都市上京区の平安女学院中学・高校。立派な石組みの井戸が、開校当時のれんが造りの校舎「明治館」東側の大きな木の根元にある。そばの塀に「菅原家の古井戸」と小さな看板がかかっている。
 平安時代、このあたりは菅原道真の父是善(これよし)の住まいがあったと、歴史書に記されている。「塀を隔てた菅原院天満宮さんは道真公の生誕地とされる。学院では、この井戸が道真公の産湯の井戸と伝えられています」。学校法人平安女学院の山岡景一郎理事長(七七)は枯れた井戸をのぞき込んだ。
 平安女学院は一八九五年、大阪の旧居留地にあった照暗女学校を前身として開校した。井戸の水面に時々、道真の姿が映るとの言い伝えもあり、校名を決める際、「道真(どうしん)女学校」も候補になったという。
 道真の産湯として広く知られている井戸は別にある。一つは隣の菅原院天満宮の境内。もう一つは菅原家の学問所で道真の屋敷だったという菅大臣神社(下京区)で、江戸時代の地誌にも登場する。吉祥院天満宮(南区)にも、昭和の初めごろまで産湯の井戸があったと伝わる。
 どうして同じ言い伝えを持つ井戸が、いくつも存在するのか。京都の水文化を研究する市民グループ「カッパ研究会」の世話人鈴木康久さん(四七)は「京都は地下水に恵まれた土地。地域自慢が盛んになった江戸時代には、数多くの名水の地が名所として広まった。道真公への信仰と名水が結びつき、親しまれたのでは」と思いをめぐらす。
 道真がどこで生まれたのか、確かな記録はない。現実には井戸の水が出にくくなることも、土地の転用もあり、平安時代の井戸が当時のまま姿をとどめることは考えにくい。それでも、人びとは千年の時を超え、それぞれのゆかりの地で口伝とともに「産湯の井戸」を守ってきた。
 平安女学院は来春に改修を終える明治館と一緒に、井戸も整備して一般公開する。再び井戸を掘り直す計画も検討中だ。「道真公が飲んだ水はどんな味がしたでしょう。学問の地となったこの地に井戸をよみがえらせたら…」と山岡理事長。道真は再び水面に姿を見せるだろうか。
【メモ】井戸は長さ1−1.5メートルの石が組まれている。深さは不明。隣接する菅原院天満宮の井戸は地下鉄烏丸線の工事で枯れたという。菅原道真(845−903年)は代々の学者の家に生まれた。のちに天神様、学問の神様として信仰を集めるようになった。

【2007年10月12日掲載】

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