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(168)よろい掛けの松(左京区)

仏門に新たな人生
源氏の武士だった熊谷直実がよろいを掛けたとされる松。出家の決意がしのばれる(京都市左京区黒谷)
 血で血を洗う世界に生き、世の無常を感じる。身に着けていたよろいを池で清め、一本の松に掛ける。武士道に別れを告げ、仏門に入ることを心に決めた瞬間だった。
 よろい掛けの松は、武蔵の国(現在の埼玉県熊谷市)の出身で、一ノ谷の戦いで平敦盛を討ったことで知られる熊谷直実が、出家する際、よろいを枝に掛けたとの言い伝えが残る。
 源頼朝が鎌倉幕府を開いた一一九二年、五十二歳の直実は、金戒光明寺の法然を尋ねて弟子となり、名を蓮生と改める。
 その八年前、源氏と平氏が戦い、平氏の多くが討たれた一ノ谷(現在の神戸市)の戦いがあった。源氏の武将だった直実は、平清盛のおいで、若干十六歳だった敦盛を討ち取る。直実は息子と同い年の敦盛を逃がそうとしたが、ほかの追っ手も迫っていたことから、仕方なく討ったとされる。その際の無常感から出家したといわれるが、領地をめぐる争いに敗れたためとの説もある。
 金戒光明寺を訪ね、法然に「こんな人間でも往生できるか」と不安げに問う直実は、「念仏さえすれば救われる」との言葉を聞いて、涙を流したという。今年は、没後八百年にあたるとして、同寺のほか、開基の礎を築いた長岡京市の光明寺でも法要が営まれている。
 当時の松は枯れたため、今の松は二代目となる。三メートル以上の高さで、横方向にもその倍はあろうかという枝ぶりに目を見張る。その昔は、この地で直実が出家したことを広く知らしめる意味も込めて、よろいが掛けられていたという枝に、カラスの人形が置かれていた。
 松から少し下った場所に、直実(蓮生)を開基とする蓮池院(熊谷堂)が立つ。「新しい発想のできる人だった」。直実について、熊谷堂の井上正幸住職(49)は語る。「食うか食われるか。(直実が生きた)戦国の世と、競争社会の現代は、時代が似ている。そんな今こそ、蓮生師のような考え方ができる人がいたらいいんじゃないかと思います」。
 堂内には、真っすぐに前を見据え、法衣に身を包んだ直実と、まだ十六歳で幼さの残る敦盛の像が並んで安置されている。
【メモ】「くろだにさん」の愛称で親しまれる金戒光明寺は、法然が1175年に草庵(そうあん)を結んだのが始まりとされる。よろい掛けの松は、京都市指定の保存樹で、御影堂の横に位置する。よろいを洗ったとされる池も境内にある。

【2007年10月16日掲載】

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