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(169)馬神神社(大津市)

疫病退治 願い建立
長等神社境内にある馬神神社。社には競走馬の名前が墨書された木の札も見える(大津市三井寺町)
 大津市には、江戸時代に人々の交通手段、物資の運搬手段だった馬の守り神として広く信仰された神社がある。「馬神神社」。かつて大流行した馬の病を鎮めるために建てられた。三井寺町の長等神社境内にある小さな社で、馬の健康への願いが込められている。
 江戸時代寛永年間。諸国に馬の疫病が大流行し、馬を害する妖怪「馬魔(ぎば)」の仕業だとうわさが立った。『水木しげるの日本妖怪紀行』では、旋風に囲まれ、馬魔に組み付かれると、馬は悲鳴を上げてばたりと倒れる、とされる。
 大津の貧しい家の娘が馬魔と化し、馬を襲って父親の馬の皮商いを助けるという伝説が、孝行話として残ってもいるが、馬の持ち主としてはたまったものではない。ことに、東海道の宿場町、北国との湖上交通の物資の集積地という機能を持った大津には、馬が多く配され、疫病の流行は脅威だったに違いない。
 馬神神社が建てられたのは、この疫病を鎮めるためだった。「大津市史」によると、当時は大津宿の中心地、東海道と北国街道の分岐する札の辻の馬会所裏の旧東町にあり、旅人のほか、馬持衆らの信仰を集めた。神社の「大津東町馬神」と書かれた腹掛けをすると疫病よけになるといわれ、東北や関東から訪れる参拝者もいたという。この腹掛けをした馬の姿は、浮世絵師小林清親(一八四七−一九一五)の作品「武蔵百景・道灌山」などにも見られ、その信仰が全国的に広がっていたことが分かる。
 人々や物資の移動を助けてきた馬。しかし、時代が変わり、交通手段も変わると、馬神神社を訪れる人の層も変わってきている。
 長等神社の新宮勝宮司(45)は「最近は、競馬や乗馬の関係者に訪れる人が多く、中にはうま年生まれで自分の健康を祈る参拝者もみえますね」と説明する。
 神社の奉賛者の中には、名馬シンザンを育てた故武田文吾氏らの名前もあり、亡くなった競走馬の霊を弔うため、九州から足を運ぶ調教師もいるという。社には、亡くなった競走馬の名前を墨書した木の札もかけられている。乗馬の愛好家で、大津市の琵琶湖乗馬倶楽部の天沼啓衣さん(64)は「わたしにとって馬は大事なパートナー。健康を願ってお祈りに行く」と話す。
 新宮宮司は「神社には、今も昔も人々を支え、共に歩んできてくれる馬への愛情が込められているんです」と話した。
【メモ】馬神神社は、1910年に長等神社の境内に移されたという。長等神社へは、京阪石山坂本線三井寺駅から徒歩10分。問い合わせは長等神社TEL077(522)4411。

【2007年10月17日掲載】

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