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(171)千代桜天満宮(向日市)

道真の心 受け継ぐ
住宅街の中でこぢんまりとたたずむ千代桜天満宮。春には境内に残る桜の木が花を咲かす(向日市寺戸町)
 向日市の西ノ岡丘陵のふもと。住宅街を通る細い道の先に、小さな神社がある。名を千代桜天満宮といい、学問の神様として知られる菅原道真にまつわる説話が残る。
 時は、延喜元(九〇一)年。当時、右大臣だった菅原道真は、左大臣藤原時平によって失脚させられ、太宰府に左遷された。
 道真が太宰府に向けて、都の平安京を出発したのは、穏やかな春の日だった。その優れた学才で村人からの人望も厚かった道真の元には、別れを惜しむ人が続々と集まり、ともに都を離れ、桂川を渡った。だが、道真の足取りは重く、同行する人たちも、ひどく落ち込んでいた。
 そして寺戸地域に差し掛かったときだった。一キロほど先の西方の岡に桜が咲いているのが、同行していた村人らの目に入った。
 村人らは道真の心を和ませようと「桜でございます」と知らせると、道真も「きれいな桜だ。これで都での最後の桜になるかもしれない。見ていこう」。道真は、その丘を付いてくる人との惜別の場所に決め、丘の中腹に向かった。
 そこでは、百本余りの桜が咲き誇り、はるか先には桂川と都もぼんやりと見える。道真は、桜の花が風に乗って、都の方に流れて散っていくのをじっと眺めていた。その様子を見ていた村人らもいたたまれずに涙した。
 道真が去った後、村人たちは道真の心を察し、また、その学才にあやかり子どもに知恵を授けてもらおうと、千代桜天満宮を建てた、と伝えられている。
 昭和初期まで、一帯は桜の名所として知られ、何本もの桜の大木が満開になる光景は壮観だったという。近くで生まれた同市寺戸町の中村行信さん(87)は「子どものころは、大きな桜の木があった」と振り返る。だが、その後の宅地開発で周囲の環境は一変した。今ではその面影はなく、残る桜は拝殿前の一本だけになった。
 現在は、地元四町内でつくる勧業会が同天満宮を守る。毎年の例祭や五十年ごとの大萬燈祭を開催しているが、若い人が参拝にくることは少なくなったという。それでも長谷川治雄会長(75)は「昔から受け継がれている道真の伝統を守っていきたい」と話している。
【メモ】千代桜天満宮は、阪急東向日駅から北西へ約1キロで、徒歩約15分。第2向陽小の南側に位置し、向日市や市観光協会が設定した「古墳めぐりコース」に盛り込まれている市北西部の散策路「竹の径(みち)」や物集女(もずめ)車塚古墳、桓武天皇皇后陵などにもほど近い。勧業会は今年も11月25日に、子どもの学業上達を祈る例祭を開催する予定。問い合わせは、長谷川治雄会長TEL075(931)3044。

【2007年10月19日掲載】

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