京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(173)歯痛平癒の神社(京都市中京区)

後桜町天皇を治す
歯痛平癒の御利益で知られる白山神社
 京都市中京区の市役所の近くにあり、町家に囲まれてこぢんまりと立つ白山神社。江戸時代中期、最後の女帝として知られる後桜町天皇(一七四〇−一八一三)が歯痛で悩んでいた。女官が白山神社から持ち帰った神箸(しんばし)と神塩をつけたところ、たちまち歯痛は治ったという。そこから、白山神社には「歯痛平癒」の御利益があるとされるようになった。
 「たまたま御所に近かったから、そのような話が伝わったのでしょう」と、山倉盛典宮司(67)は推測する。ただ、天皇の歯痛が治ったという話は、関東の歯科医団体のホームページで紹介されるようになり、東京から歯科医のグループがお参りに訪れたり、観光客が同神社の「長寿箸」をお土産として買い求めていくという。
 歯痛が全快するというユニークな御利益のほか、神社に伝わる創建の由来も一風変わっている。
 平家一門が権勢を振るった平安時代末期。加賀国(現在の石川県)の白山神社の第八社で、平家の武将が乱暴狼藉(ろうぜき)をはたらいた。怒った僧らが加賀一の宮のみこし三基を持って京の内裏まで押し寄せた。しかし、公卿には取り合ってもらえず、一行は武士にけちらかされた。逃げる際、麸屋町通押小路辺りでみこしの一基が動かなくなり放置して立ち去った。その場所でみこしを祭ったのが神社の始まりとされる。
 白山神社は、過去の大火で社殿は何度も焼けて、大切な古文書も焼失してしまった。山倉宮司によると、一時期は東は寺町通から西は柳馬場通まで広がっていたという。境内には現在も二つの井戸跡が残るように地域住民の水源として大切に守られてきた。
 山倉宮司は「白山神社も加賀国の水源として大切にされており、水つながりで白山に関係付けされるようになったのではないか」と説明する。
 現在は、南北が二条−三条通間、東西が寺町−柳馬場間の二十四カ町が氏子になっている。マンションが増えて、氏子は五年ほど前の約八百五十世帯から約千四百五十世帯まで増加した。九月に行う秋の大祭は、みこしも繰り出しにぎわいを見せる。山倉宮司は「白山神社は町内のシンボル。いつまでも守り通していきたい」と語る。
【メモ】白山神社は京都市中京区麸屋町通御池上ル。地下鉄東西線「京都市役所前駅」から西約200メートル。TEL075(222)0173。長寿箸は、はし、はし置き、ビニールに入った塩の3点セットで500円。塩は毎月の例祭でおはらいを済ませている。長寿箸は、赤ちゃんの食べ初めではしに塩をつけて食べさせると無病息災がかなうとされる。

【2007年10月24日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ