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(175)善峯寺の出世薬師(京都市西京区)

綱吉の成長を祈る
出世薬師がまつられる薬師堂は標高約400メートルにある。天気が良ければ京都市が一望できる大パノラマが広がる(京都市西京区)
 訪れた日は雨で、ぬれた石畳の上でサワガニが数匹、遊んでいた。西国第二十番札所の善峯寺は釈迦(しゃか)岳の支峰・良峰の山頂近くにある。境内にある無数のモミジがほんの少し色づき始めていた。
 奥の院に当たる薬師堂には鎌倉時代の薬師如来が祭られている。徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院が息子の成長の無事を祈ったことから「出世薬師」と呼ばれている。
 桂昌院は、堀川の八百屋に生まれた。お玉と呼ばれ、とても美しい娘だったという。幼少期に父を亡くしたお玉は、母とともに善峯寺で二年半、住み込みで奉公した。当時、善峯寺は室町時代の応仁の乱で本堂を焼失し、仮のお堂を建ててほそぼそと営んでいた。同寺の掃部光昭副住職(55)は「両親とも善峯寺への信仰が厚かったことから、善峯寺を奉仕の場所として選んだのだと思います」と話す。
 お玉はその後、母の再婚先が徳川家と縁があったため、侍女として江戸の大奥に入った。間もなく三代将軍家光に見初められて側室となり、綱吉を産んだ。
 家光の死後、お玉は出家し桂昌院と称した。あまたのライバルがひしめく中、綱吉が無事に育つよう、幼いころから信仰を寄せていた善峯寺の薬師如来に祈りを寄せた。善峯寺の僧侶たちも、かつて境内で愛らしい笑顔を見せたお玉の無事を薬師如来に祈ったという。
 綱吉が五代将軍に就くとともに、桂昌院も絶大な力を持つようになった。善峯寺の僧侶たちは、江戸へ足を運び、寺の再興に「力を貸してほしい」と依頼した。桂昌院は快諾し、元禄五(一六九二)年から山門、本堂、十三仏堂と、次々と再建していった。
 薬師堂の再建は一七〇一(元禄十四)年。その際、桂昌院は次のような歌を詠んだ。
 たらちをの 願をこめし 寺なれば 我もわすれじ なむやくし仏
 勝ち組・負け組と言われる格差社会の現代では、出世というと「他人を踏み台にしてでも」などのイメージがある。だが掃部副住職は一人の母親としての願いに思いをはせる。「健康であるのはもちろん、後ろ指をさされない一人の人間として立派に成長することではないでしょうか」。
【メモ】善峯寺はJR「向日町」、阪急「東向日」の両駅から阪急バス66号系統で約30分。本尊は十一面千手観音。神経痛や腰痛に効くとされるお守りが有名。阪神大震災の際、阪神高速の高架から転落寸前でとどまった大型バスの運転手がこのお守りを持っていたことから「おちないお守り」と知られるようになり、受験生や選挙の立候補者から人気を集めている。

【2007年10月26日掲載】

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