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(179)地獄花(草津市)

母娘救った黒い粒
「地獄花」とも呼ばれたアオバナの摘み取り作業(7月、草津市上笠町)
 夏にコバルトブルーの花を咲かせる、草津市特産のアオバナ。夏空に映える鮮やかな色彩が草津の風物詩となっているが、地元のお年寄りには「地獄花」とも呼ばれる。その由来を伝える昔話が、同市木川(きのかわ)町に残っている。
 その昔、草津川(現在は廃川)の近くの木川村に、病気の母を抱えて貧しく暮らすきよという娘がいた。ある日、夢の中に観音様が現れ「草津川の土手の一本松へ行きなさい。一日分の米を授けましょう」と告げた。行ってみると米がびっしり入った箱があった。しばらくは一日分の米を持ち帰っていたが、ある日、きよの心に欲が兆し、一度に数日分を持って帰った。翌日、箱には米ではなく黒い粒が入っていた。許しを請うきよに、また観音様からお告げがあった。「黒い粒はアオバナの種。青い花を摘み取って紙に染みこませなさい。京の友禅問屋に売れるでしょう」という。
 畑に種をまき、夏に花を摘み取り、花の汁を染みこませた紙を京まで持って行くと、下絵の顔料として思わぬ値段で売れた。
 ただ、毎朝のように咲く花を早朝から収穫し、炎天下で花の汁を和紙に染みこませて乾燥させる作業は重労働。きよは「地獄花ではなかろうか」とも思ったが、なんとか生計が立つようになり、母の病も治った。そのうちに近所の人も栽培を始めて草津一帯の特産物になった、と伝わる。
 ほかに「天明年間(一七八一−八八年)に木川郷の老人が伝えた」(草津風土記)との逸話もあり、江戸期に貴重な現金収入の手段として、本格的な栽培が始まったとみられる。
 木川町の実家がアオバナを栽培していた岸本浪枝さん(79)=同市南山田町=も、家族からこの話を聞いていたといい、「ほんまに地獄花でした」と、当時を振り返る。子どものころから、夏になると毎朝六時から摘み取りを始め、青い花が白くなるまで絞る作業を行っていたそうだ。
 アオバナは現在でも、休耕田対策として市内の計約一ヘクタールで栽培されている。市農林水産課の井上薫さん(48)は「アオバナを利用した食品づくりなどで産業振興につなげたい」と話す。「地獄花」が農家を助ける日が再び来るのかもしれない。
【メモ】アオバナはツユクサの変種で6月下旬から8月に花を咲かせる。水に流れやすい性質のため江戸期から、友禅染の下絵の染料として使われてきた。1981年には草津市の花に指定されており、上笠地域や道の駅草津(同市下物町)などで栽培されている。農家や市は「草津あおばな会」を結成してPRを続けており、アオバナを原料に使った緑茶や酒、クッキーなどの特産物も増えている。

【2007年11月2日掲載】

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