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(180)幽霊絵馬(京都市中京区)

亡き娘供養に奉納
江戸時代の幽霊絵馬が現存する行願寺。毎年、地蔵盆の時期に供養している(京都市中京区)
 平安時代、「革聖(かわのひじり)」と呼ばれた上人がいた。射止めたシカの腹を矢がかすめ子ジカが生まれ落ちた。母ジカは痛みをいとわず子ジカをいとおしみながら死んだ。上人は殺生を悔いて仏門に入り、母ジカの皮に経文を書いて常にまとい、諸国を巡った−と伝わる。
 京都御所の東南にある行願寺(京都市中京区)は一〇〇四年、この行円上人が創建した。寺は上人の逸話から「革堂(こうどう)」と呼ばれるようになった。
 創建の地は京都御所の西、現在の京都市上京区小川通一条辺り。徒然草八十九段には、行願寺近くに住む法師が登場する。法師が飛びついてきた飼い犬を化け猫の「猫また」と早合点する笑い話だ。今も複数の町名に「革堂」の名が残る。
 寺は一五九〇年、豊臣秀吉によって現在は鴨沂高校のある寺町通荒神口(上京区)に移された。さらに一七〇八年の宝永の大火後、現在地に移り、新たな逸話を生んだ。
 江戸後期。寺近くの質屋に、江州からお文という娘が子守の奉公に来ていた。質屋の主人は、お文が寺に日参し、御詠歌「花を見て 今は望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」をそらんじ、子にうたい聞かせるのが気に入らず、せっかんして死なせてしまった。
 主人は両親に「逃げた」と知らぬ顔を決め込んだ。だが寺に参った両親の前に、お文は幽霊となって現れ、愛用の手鏡とともに行願寺に埋葬してほしい、と訴えたのだった。悪行がばれ、主人は処刑された。
 寺には、両親が寺に奉納したとされる「幽霊絵馬」が現存する。縦一メートル、横三十センチの板に手鏡がはまり、お文の姿が描かれている。寺では「お文さん」と親しみを込め「毎年地蔵盆の時期に供養しています」と中島光海住職。
 寺は、住職に代わって八十歳の尼僧が守り、「日々観音様にお仕えする、こんな幸せはない」と朝晩の勤めを欠かさない。お文の好んだ御詠歌を「『花』は(本尊の)観音様、『千草』は参拝の皆さんのこと」と解説してくれた。命と信仰を尊ぶ寺の精神は脈々と伝わり、札所巡りの参拝客と客を思いやる尼僧のやりとりが静かな境内をにぎわしている。
【メモ】行願寺の宗派は天台宗。住所は京都市中京区寺町通竹屋町上ル。京都市営バス河原町丸太町で下車徒歩5分。本尊は行円上人作と伝わる非公開の十一面千手観音。西国三十三所観音霊場の第十九番札所、洛陽三十三所観音の第四番札所、都七福神の寿老人の寺でもある。境内は参拝自由。

【2007年11月6日掲載】

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