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(181)矢田地蔵(京都市中京区)

地獄の苦しみ救う
重要文化財「矢田地蔵縁起」を基に江戸時代後期に作られた地蔵菩薩像(京都市中京区・矢田寺)
 寺町通の喧騒(けんそう)の中にある矢田寺は、地蔵菩薩(ぼさつ)像を本尊とする。絵巻物「矢田地蔵縁起」(重文、室町時代)をもとに、江戸時代後期に作られた木像で、一カ月で一万人の参拝者が訪れる。生きとし生けるものを地獄の苦しみから救ってくれるという地蔵信仰は、今も受け継がれている。
 厨子(ずし)に安置されている地蔵菩薩像。実は手動のエレベーターで上下する。西尾道博住職(61)は「戦前まで、毎晩、地蔵菩薩像を耐火れんがの地下室に下ろしていた。レバーをくるくる回すとお地蔵さんが下がっていくんですよ」。何度も大火に見舞われた京都ならではの工夫なのだそうだ。
 「矢田地蔵縁起」の物語は、死後の世界をつかさどる閻魔(えんま)王の悩みから始まる。世の中に苦しみがまん延していて、それがかえって自身の身の災いとなっていたため、閻魔王は受戒を決意した。平安時代初期の朝廷の高官、小野篁(おののたかむら)に相談すると、篁は「受戒するには当代切っての僧侶、満慶上人がよい」と答えた。
 満慶は、大和国(奈良県)の矢田寺の高僧。閻魔王は使者を遣わし、満慶を迎えて悩みを打ち明けると、満慶は戒を授け、閻魔王の心をいやした。
 喜んだ閻魔王がお礼をしたいと申し出ると、満慶は地獄を見たいと言った。閻魔王が地獄の鉄扉を開けて案内した。燃え立つ炎の中に湯が煮立った釜があった。そこには、生前の悪業によって人が次々と落ちてきた。うめき声が響く、まさに地獄絵巻だった。
 ふと見上げると、一人の僧が奔走していた。地蔵菩薩だった。満慶が話しかけると、地蔵菩薩はこう答えた。「現世に戻ったら、私に似せた像を作りなさい。そして像を拝み、私と縁を結びなさい。一毛の縁もなければ、地獄の衆生を救うことができないのだ」。縁起に描かれたのは、地蔵菩薩の「救済仏」としての姿だった。
 昨夏から、西尾住職は絵巻物の模写を使って絵解きしている。体調を崩して一時中断したが、地蔵信仰を語り継ぐために再開を決めたのだという。西尾住職は「地蔵には『代受苦(だいじゅく)』の御利益がある。子どものためだけのお地蔵さんではないんです。京都のつじつじに置かれている本来の理由を忘れないでほしい」と話す。
【メモ】矢田寺は京都市中京区寺町通三条上ル東側。地下鉄東西線「京都市役所前駅」から南約200メートル。現在は西山浄土宗の寺院。奈良県大和郡山市の矢田寺の別院だったとも言われる。地蔵をモデルにした住職夫妻手作りの「ぬいぐるみ地蔵さん」のお守りが人気。「送りの鐘」でも知られる。毎年、冬至にはカボチャ供養の行事を行い、1000人分のカボチャを振る舞う。

【2007年11月7日掲載】

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