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(184)菊神稲荷(京都市左京区)

木像、火よけの神に
菊神稲荷の火焚祭は神体の像が開帳される特別な日。感謝をささげる前に、僧侶が勢いよく水をかぶり身を清める(京都市左京区仁王門通川端東入ル)
 雲一つない秋空の下、朱色の鳥居の前に並べられた、水をなみなみとくんだたる。その水面に、傍らのイチョウから黄色い葉が一枚、落ちた。京都市左京区・妙雲院の境内にある菊神稲荷で十一月七日、火焚祭が執り行われた。僧侶たちによる水行を控え、静寂な時間が過ぎる。
 水行は同祭のハイライトだが、だれでもできるわけではない。同院の藤井照源住職(55)をはじめ、百日の荒行を終えた者だけが許される。参拝客が見守るなか、下帯姿の三人が、経文をとなえながら木おけで水をくみ、勢いよく頭からかぶる。繰り返し、水しぶきを飛び散らせて身を清める姿は豪快だ。
 寺伝によると、菊神稲荷がまつられたのは江戸中期の十一代住職日敬聖人のころ。京都の中心部を焼き尽くした天明の大火(一七八八年)は同院にも被害を及ぼした。復興のために、日敬は昼夜を問わずに奔走した。疲れ果ててうたた寝をしていると、枕元に神が現れ、こう告げた。「我はこのほとりに住む菊神稲荷なり。このところより一丁余(約百メートル)南せしところに雨露にさらされてあれば、災禍の跡、復興にいち早き汝(なんじ)日敬、寺の一隅に我を祭祀(さいし)して末永く当域と当寺の守護神とせよ」−。告げ終わるやいなや、光は南の方角に消え去った。
 不思議に思った日敬は、後を追うように南に向かい、お告げ通りの位置で地面に埋もれた木像を見つけ、丁重に持ち帰り、寺の再建に併せて境内にほこらを設けた。大火の後に見つかったためか、いつしか火よけの御利益があると地元で信仰を集めるようになったという。「確かに、寺と周辺の町は大きな火災に遭うことがなくなったと先代から聞いています」と藤井住職。
 同稲荷は当初、境内でひっそりとまつられていたが、先代の故藤井智昭住職が火焚祭を始めた。今では晩秋の風物詩として、朝から続々と参拝客が訪れるようになった。
 水行の後、鳥居の前で参拝者の名前や願い事を記した護摩木がたかれる。立ち上る炎に向かい、参拝客たちが熱心に手を合わせる。最近は火よけ以外に、商売繁盛や無病息災も願う人も増えたという。そんな祭りの様子を、神体の木像は静かに見守っていた。
【メモ】京都市左京区仁王門通川端東入ル。日蓮宗の寺院である妙雲院はもともと、堺で松林山妙雲寺と称していた。16世紀の天文の法難で、京都から堺に逃れてきた頂妙寺の復興を支えるため、現在地に移った。菊神稲荷では2月の初午祭にも水行と神体の開帳がある。

【2007年11月13日掲載】

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