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(186)西心さん(宇治市)

村を救った修行僧
地元の人が供養のため彫ったとされる「西心さん」の石仏。仏前にはいつも花が絶えないという(宇治市小倉町西山・小倉共同墓地内)
 宇治市小倉町の府道沿い。小倉小の向かいに、地域住民が管理している共同墓地がある。入り口から続く短い坂を上ると、正面に大きなお堂が。中に高さ七十−八十センチの石仏が鎮座していた。
 「西心さん」。住民は親しみを込め石仏をそう呼んでいる。いつ、誰がつくったかは、定かではない。ただ、西心さんは江戸期のいずれかの時代にどこからか小倉の村に現れ、村を救うため人身御供になった修行僧だと伝えられている。
 西心さんは、貧しさにあえぐ(はやり病で多くの死者が出ていた、とも伝わる)村を助けるため「石の唐櫃(からと)」に入った。上から土をかけてもらった後、「わたしの唱えるお経が聞こえなくなったら死んだと思うてくれ」と告げ経を唱え始めた。歳月は過ぎ、やがて経の声は途絶えた。
 それから何年かたち、河内の庄屋の家で、小倉の生まれであるとの証しが体に記された女の子が生まれ、不思議に思った家人が奉行所に届けた。役人が小倉村に調べに入ったが、村人は皆「知らん」の一点張り。実は、女の子が西心さんの生まれ変わりと思った村の上役が怖がり、村人に「西心さんのことは知らんと言え」と触れ回ったのだった。女の子はその後、成仏できずに死んでしまった。その後、小倉の人が西心さんの石仏を彫って墓石としたという。
 「石仏は、西心さんが成仏できないからというより、己を捨てて他者に生きた西心さんの『心』を小倉の人は忘れないでほしいと願いつくられたと思います」。そう話すのは、共同墓地に墓を置く住民の多くが檀家(だんか)となっている地元の寺の一つ、観音寺の西尾泰明住職(35)。法事で檀家の人と共同墓地に参った際などに、時折その話をするのだという。
 地元住民の西心さんへの信仰は厚い。仏前の花は常に新しく水や食べ物も供えられている。毎朝参りにくる人。般若心経を写経したよだれかけがいつの間にか新しいものに…。妻と墓参に訪れた高齢男性がお堂のそばに立つ六体地蔵と西心さんに線香を一本一本あげていた。「ワシらを守って下さる仏さんだから」。目を閉じている西心さんがなぜか、笑ったような気がした。
【メモ】小倉共同墓地は市有地だが実際に管理するのは地元住民でなる管理委員会。墓地に墓を置く住民の大半が地元の観音寺と地蔵院の2寺(ともに浄土宗)の檀家。宇治民話の会が「山城のむかし話」の一話に取り上げた西心さんの物語が由緒書きに代えてお堂の壁に張られている。

【2007年11月16日掲載】

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