京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(189)建部大社(大津市)

源氏再興 頼朝が祈願
建部大社境内にある弓取神社と箭取神社。源頼朝をはじめ武士に崇敬された(大津市神領1丁目)
 近江一の宮と称された建部(たけべ)大社。武家政権の鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝の念願をかなえた逸話により、武士らのあつい崇敬を集めたという。
 一一五九年(平治元年)の平治の乱。源氏は平清盛率いる平氏に惨敗し、平氏は「平家にあらずんば人にあらず」と豪語して専横する世になった。源氏の棟梁だった父義朝を含めた一門は次々と殺害。頼朝は捕らえられてわずか十四歳で、京からはるか遠い伊豆に流されることになった。
 平治物語などによると、一一六〇年(永暦元年)、頼朝は関東下向の途中、建部大社に立ち寄った。祭神は日本神話の英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)で、武神として信仰された。頼朝は神社に泊まり込んで、本殿で前途を祈願したとされる。
 何を祈ったのだろう。
 神職の平尾千蔵さん(57)は「数日間留まって、朝昼夜と祈願を何度も行ったようです。お家再興はもとより、源氏の世が訪れるのを武神に祈り、ひそかに胸に誓ったのではないか」とみる。
 おごれる人も久しからず…。
 関東で挙兵した頼朝は、京や西国で栄華を誇った平氏を打倒。東北地方の奥州藤原氏も討ち滅ぼした。天下人へと足場を着々と固めるなか、一一九〇年(建久元年)の上洛に合わせて、建部大社を再び訪れている。
 このときは、同大社で弓引き神事を行う地元長老が武運長久を祈願すると、夜に「頼朝に弓矢を与えよ」という夢を見た。翌日、長老が神事に使う弓矢を献上すると、頼朝は宿願がかなった感謝もあり、領地を同大社に寄進した。長老らはこの弓矢に感謝し、今も境内にある弓取神社と箭(や)取神社を勧請したという。
 建部大社はその後、中世の歴史的な戦乱の舞台としてたびたび現れる。武神をまつり、京への要衝、瀬田唐橋近くに位置するためか、南北朝の戦乱や応仁の乱では、兵火で建物が焼き払われる戦禍にあっている。
 ただ、徳川時代に入ると戦乱も収まり、歴史の表舞台からは姿を消すようになる。平尾さんは「中世のような華々しさはないのかもしれませんが、国が安泰になった証しなのでしょうね」と話す。建部大社は地域の神様として根を下ろし、いまも数多くの氏子や崇敬者に親しまれている。
【メモ】建部大社は大津市神領1丁目16ノ1。TEL077(545)0038。京阪石坂線唐橋前駅から東へ徒歩15分。日本武尊をまつる総本社で、源頼朝の源氏再興の願いをかなえ、出世開運などで崇敬される。平安時代の女神像など国の重要文化財も有する。

【2007年11月22日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ