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(190)介抱地蔵(京都市中京区)

病癒やす町内の宝
福屋町に伝わる介抱地蔵。住人が順番に世話し、大切に守っている(京都市中京区高倉通夷川上ル)
 京都市の中心部、中京区福屋町の一角に介抱地蔵という名前のお地蔵さんが立つ。長年、地蔵の世話をしてきた地元の住人は「延命地蔵はよく聞きますが、介抱の名はほとんどないですね」と首をひねる。
 介抱地蔵は石像で、高さ四十センチほど。普段はほこらの中に大切に収まっている。町内の歴史に詳しい古老(83)によると、弘法大師の作と伝えられ、町内にいつの時代からあるかははっきりとしない。
 古老ら住人らの話をまとめると名前の由来は江戸時代中期にさかのぼる。元禄のころ、町内に老女と子どもが住んでいた。日ごろからこの地蔵を信心し、朝と夕暮れにお参りしては花を供えていた。ある時、老女は病気で寝込み治療を尽くしたが、回復する様子がない。しかし、不思議なことに毎夜、老女の枕元に僧侶が来て、地蔵菩薩などの言葉を授けて介抱し、湯薬を与えた。老女はますます信心を深くし、ついに病気が治ったという。
 それから、老女と子は信心を怠らず、地蔵は介抱地蔵と呼ばれた。心を込めて祈れば、ほうそうや疫病が治り、安産の願いもかなったと伝わる。
 一七八八(天明八)年、京都で大火が起こった。この地蔵も火に包まれると思われたが、若い男が現れ「石像は任せてください」と、どこかに運んで行った。住民は悲しんでいると、その男が再び現れ地蔵を戻した。住人は地蔵が残ったのは地蔵大菩薩の霊験だと信じ、代々に渡り守ってきたという。
 町内には、地蔵を描いた掛け軸も伝わる。江戸後期の絵師で、町内に住んでいた多村挙秀が描いた逸品だ。地蔵菩薩のようにほほえむ姿は心を和らげてくれるが、古老は「石像のお顔とは似ていません」と笑みを浮かべた。
 地蔵盆では地蔵とともに、掛け軸も出し、その前に祭壇をつくる。ほこらのすぐ横に住む吉原良雄さん(76)は「お地蔵さんを飾り付け、町内の長老にお経をあげてもらっています」といい、町をあげてお祭りする。
 福屋町は約四十世帯の小さな町内だが、今も住人が順番に世話を欠かさない。進藤たつ子さん(72)は今春まで約二十年、花を供えほこらの周りのそうじを欠かさなかった。「特別なことはしてません。ずっと町内で大切にされてきましたから」。信仰を集める町内の宝は住人に守られ、静かに人々の幸せを見守っている。
【メモ】介抱地蔵は京都市中京区高倉通夷川上ル。京都市営地下鉄烏丸御池駅で下車、北東へ徒歩約15分。掛け軸を描いた絵師の多村挙秀(1789−不詳)は姓が清原、名は久成という。挙秀は号。円山応瑞の門人といわれ、安政の御所造営で御涼所上御間などを担当した。

【2007年11月23日掲載】

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