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(191)こぬか薬師(京都市中京区)

如来現れ病気治癒
「こぬか薬師」と呼ばれる本尊を祭る薬師院の本堂。毎年10月8日にだけ開扉して法要が行われる(京都市中京区)
 二条城に近い京都市中京区大黒町。釜座通に面した一角に、小さなお堂がひっそりたたずんでいる。薬師院だ。病平癒の御利益があるという「こぬか薬師」で知られる。
 薬師院の縁起によると、本尊の薬師如来は伝教大師が十六歳の折に彫った七体の一つで、現存するのは延暦寺と同院のみという。薬師院の本尊は比叡山から美濃(現在の岐阜県)の寺を経て、現在の場所に移されたといわれる。
 「こぬか」のいわれは鎌倉時代にさかのぼる。一二三〇年、疫病が全土に流行して、貴族や民衆の区別なく死者が相次いだ。ある日のこと。この寺の住職の夢に本尊の薬師如来が現れ、こう告げた。「わたしの前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」  感激した住職はお告げをふれ回り、遠国からも病人が集まった。本尊にお祈りするとたちまち病気は治り、長寿をまっとうできた。以降、この本尊をこぬか薬師と称するようになったという。
 その後、十六世紀に上洛を果たした織田信長が、御利益を聞いて美濃から移した。一六八八年には黄檗宗の鉄面寂錬禅師が再興し、京都七薬師の一つに数えられた。
 薬師院は一時、大黒町一帯にまたがる広大な境内を持っていたが、幕末に蛤御門の変で焼失。一八八九年に裏門を正面にして縮小再建された。
 戦後は再び荒廃し、現住職の吉野玄輝さん(57)が二十四年前に移ったときは「本堂は床が抜け、庫裏の屋根は落ちていた」(吉野さん)。たく鉢に歩き回り、黄檗宗にちなんだキハダの数珠を名物にするなど努力を重ね、七年前に庫裏を再建した。吉野さんは「町内や薬師如来の信者さんに助けられ、ようやく復興できた」と喜ぶ。
 吉野さんは以前、普茶料理で有名な黄檗宗本山、万福寺(宇治市)の台所を預かる典座長だった。六年前からは特技を生かして参拝者に料理を振る舞っている。吉野さんと二人三脚で寺を再建してきた妻のかつよさん(50)は「調理は夫一人なので一度にたくさんの人は受け入れられませんが、手間暇かけているので喜ばれます」とほほ笑む。
 薬師さんの御利益と体に優しい普茶料理は「癒やしの時代」にぴったりの組み合わせかも知れない。
【メモ】こぬかの由来には、周囲に鹿子(かのこ)髪と呼ばれる髪形の女性が多く、「かのこ薬師」と呼ばれていたのが転じたとの説もある。薬師院はかつて薬の市が立ったといい、二条通に薬問屋や漢方薬店が多いのはその名残といわれる。同院へは京都市地下鉄「烏丸御池」駅下車、御池通を西へ行き、釜座通で北進。普茶料理は要予約。TEL075(211)1890へ。

【2007年11月27日掲載】

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