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(194)雪よけの松(京都市東山区)

常盤の決意見守る
常盤と3人の子を救ったと伝えられる秘仏の薬師如来像(京都市東山区・寶樹寺)
 京都市東山区の本町通沿いにある寶樹寺(ほうじゅじ)の門前に、「子どもそだて 常盤薬師」と彫られた石碑が建つ。寺の秘仏である薬師如来像と子どもにまつわる物語の由来は、源平が覇権を争っていた平安時代末期にさかのぼる。
 平治の乱(一一五九年)で源義朝を破った平清盛は、源氏の報復を恐れて、義朝の子を捜し出して殺すよう家来に命じた。
 義朝に愛されていた女性常盤は、牛若ら三人の子を連れて大和(奈良県)に逃れていた。常盤の母は京で平氏に捕らえられ、常盤や三人の子の所在を詰い問められた。そのことを知った常盤は「自首して母を助けるべきか、逃げのびてわが子を救うべきか」と悩んだ末に自首を決意し、子を連れて大和から京に戻った。
 雪が降り続く翌年二月、常盤たちは現在の本町通にかかる「一ノ橋」にさしかかる。雪を避けるため、母子四人が道沿いに立つ松の陰に身をひそめた。しばらく休んで歩き出そうとすると、守り本尊にしていた薬師如来像が突然、石のように硬くなり、まばゆい光を放って告げた。「私をこの地にとどめなさい。三人の子どものことは心配しなくていい」
 平氏のもとに進み出た常盤と子の命は救われた。後に牛若が成人して義経となり、平家を滅亡に追い込んだのも薬師如来の加護だと、寺の縁起は記す。
 「雪よけの松」は応仁の乱で焼けたとされるが、明治末期、京阪電鉄の建設工事に伴い境内を掘削した時、地中から松の根が見つかった。
 尾川宣之住職(60)は「物証はないが、『雪よけの松』が見つかった、とずいぶん話題になったそうです」と話す。大正初期に門前の石碑が建立され、末期の本堂改築時には松の根が須弥壇(しゅみだん)の材料に使われた。
 石碑の言葉そのままに、先代の住職は子どもが元気に育つことを願った。近所の子に紙芝居を読むのが得意で、十数話分が倉庫に眠る。
 今、地元の東山区は高齢化が進み、子どもの数は激減している。寺には子宝を授かりたいと参拝に訪れる若い女性の姿が時折、見られるという。
 尾川住職は「父ほどうまくはできないが、近い将来、『雪よけの松』をめぐる物語を紙芝居に仕立て、私も子どもたちに伝えていきたい」と話す。
【メモ】寶樹寺は京都市東山区本町11丁目201。TEL075(551)0916。JRと京阪電鉄の東福寺駅から北へ徒歩3分。葛飾北斎の作と伝わる肉筆画「常盤御前雪除松」を所蔵する。秘仏の薬師如来や絵画を拝観するには事前予約が必要。寺は団体での拝観を要望している。

【2007年11月30日掲載】

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