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(195)応答連歌之碑(長浜市元浜町)

心通じた俳諧仲間
横超院と加賀千代の連歌が刻まれた石碑(長浜市元浜町・大通寺)
 長浜市元浜町の真宗大谷派長浜別院・大通寺の山門をくぐる。まっすぐに本堂西側の渡り廊下前まで進むと、「応答連歌之碑」が建つ。
 「手をあげよ 同じ流れに すむ蛙」
 「日かげのわらび 腰をのしかね」
 第五代住職、横超院(おうちょういん)(一七二一−九一)と加賀の俳人、千代(ちよ)(一七〇三−七五)が詠んだ連句が刻まれている。江戸中期に千代が大通寺を参詣した際のエピソードとして、地元住民らに長く語り継がれてきた。
 二十一歳から七十一歳で亡くなるまで住職を務めた横超院は、大通寺中興の祖として湖北の門信徒らから広く崇敬されている。法名は眞央。書画や俳諧の才能にたけ、含山の号で多くの俳画などを残した。
 代表句「朝顔や つるべとられて もらひ水」で知られる加賀千代は、現在の石川県白山市松任の出身。建具屋の長女として生まれ、十六、十七歳で秀句を詠み人々を驚かせたという。一七五四年に出家して尼僧となり、素園と号した。
 二人の出会いは明和(一七六四−七二)のころとされる。仏法に帰依した千代は、京都の東本願寺からの帰途、長浜御坊(大通寺)に詣でた。「ご連師様にお目通り願いたい」。俳名高くかねてより慕っていた横超院に面会を請うた。
 客室「含山軒」(重要文化財)に通された千代はかしこまった。敷居にひざまずき、頭を下げ続ける姿に、横超院が冒頭の長句(五七五)を詠みかける。千代はすかさず短句(七七)をつないだ。
 横超院は「同じ俳諧仲間ではないか」と千代の心を和ませ、千代は「ご連枝様のように身分の高い者ではありません」と敬意を払った。
 大通寺の歴史に詳しい曳山博物館の西川丈雄館長は「歴代住職の中でも飛び抜けて文筆に秀でた五世らしいエピソード」とし、「場の雰囲気や二人の距離感をよく映し出し興味深い」と評す。
 後代、二人のご縁はさらに深まる。千代の辞世の句がある聖興寺(白山市中町)の文書から、横超院の二男が、同寺十代の住職、横截院乗正として入寺していたことが分かった。
【メモ】大通寺は、JR長浜駅から徒歩10分。TEL0749(62)0054。江戸初期に建てられた国の重要文化財の本堂や、狩野派、円山応挙のふすま絵など数多くの寺宝が残る。横超院が加賀千代と面会した「含山軒」は、伊吹山を借景とした枯れ山水の庭園で知られる。

【2007年12月4日掲載】

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