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(196)内藤ジョアンの姫伝説(南丹市)

魂 ムクロジに宿る
祠に安置されている観音様。傷みが激しいが、お供え物が欠かされることはない(南丹市八木町八木嶋)
 亀岡盆地を望む南丹市八木町八木嶋の高台。小さな池のほとりに、ムクロジの巨木と、小さな祠(ほこら)がたたずんでいる。祠の中に、烏帽子(えぼし)をかぶったぼろぼろの観音様が安置されている。
 五百年余り前、八木町にあった吉富八木城は、キリシタン大名内藤ジョアン(一五五〇ごろ−一六二六)ら内藤氏一族の出城だった。ジョアンは室町幕府十五代将軍足利義昭に忠誠を尽くし、天下統一を目指していた織田信長と対立関係にあった。一五七五年、信長は家臣の明智光秀に丹波平定を命じ、各地で激しい戦いが繰り広げられた。
 一五七九年(一説には七八年)、光秀は吉富八木城を攻めた。内藤方は山腹に竹の皮を敷き詰め、敵兵が滑って簡単に登れないようにして籠城(ろうじょう)する。しかし、光秀方は山に火を放ち、吉富八木城は落城した。
 そのとき、内藤方の姫が従者と逃げ延びた。姫は背中に観音様を背負い、近くの寺に身を潜めたが、光秀の追っ手に見つかる。「観音様を城の方に向けてお祭りしてください」と言い残し、殺されてしまった。
 その後、寺の横にあった池のほとりにムクロジの木が植えられたが、夜な夜なきらきら光る。村人は最初は不思議がっていたが、どうやら姫の魂が宿っているという。そこで、姫の言葉通り、木の横に小さな祠を建て、観音様を城の方に向けて祭って霊魂を慰めたという。これが冒頭のムクロジの木と観音様だ。
 この姫はジョアンの娘なのか。近くに住む八木史談会の斎藤清三会長(80)=同町八木嶋=は「内藤家の姫だとは思うが、ジョアンとの関係は謎です。落城時の城主についても諸説あり、姫が実在したのかも分かりません」と話す。内藤氏一族の本拠である八木城落城(一五七九年)の際、文書などは消失した。さらに、ジョアンがキリシタンだったことから、キリスト教弾圧が図られた徳川幕府時代に「意図的に」史料が抹消されているという。
 祠と観音様は代々、地元の人々によって守られてきた。祠の中には、大正時代のものと思われる、建て替え時の寄進者名数十人が書かれた木板も残る。
 観音様の作られた年代ははっきりしないが、ムクロジは樹齢約六百年といわれ、伝説の時代に近い。秋になると黒光りする直径一センチほどの実をつける。斎藤さんは「ムクロジは八木にはほとんど生えていない。雨にぬれた実が月明かりで光り、珍しく思った昔の人が因縁めいたものを感じたのだろうか」と話す。
 師走の口丹波は冷たい時雨が降り、巨木をぬらす。雨上がりの午後、木の根元に実が散らばり、日に照らされて鈍い光を放っていた。
【メモ】姫伝説のムクロジの木と祠へのアクセスは、JR八木駅から徒歩約30分。バス路線はなく、自動車では京都縦貫自動車道・八木東ICから約5分。

【2007年12月5日掲載】

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