京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(201)近江神宮の漏刻台(大津市)

時間の概念広める
漏刻台の模型。日本で初めて実用化され、時間の概念を全国に広めた(大津市神宮町・近江神宮)
 現代日本に欠かせない時計。現代人は時計によって行動し、生活のリズムを整える。その時計が日本で初めて実用化された場所は、今から千三百年以上前の大津だった。
 日本初の時計の開発者は大化の改新の中心人物として知られる天智天皇といわれる。天智天皇は六七一年四月二十五日、大津京(宮)に漏刻台(水時計)を設置し、鐘や太鼓で民衆に時を知らせ始めた、という。日本書記にも「漏刻を新台に置きて始めて候時を打ち鐘鼓をならす。始めて漏刻を用ふ。この漏刻は(天智)天皇の皇太子にまします時に始めてみづからつくりたまふ所なり」などと伝えられている。
 天智天皇を祭神とする近江神宮(大津市神宮町)によると、日本で初めて実用化された漏刻台は、サイホンの原理と呼ばれる液体の性質を利用しているという。水槽内に水がたまることで矢が浮力で浮き上がり、矢に記した目盛りで時間を計る。この時計の登場により、政府の役人は出社・退社時間を守るようになったとの逸話もある。
 平安時代には全国の鎮守府にも置かれるようになり、時間の概念が全国に広がっていった。近江神宮は「国が時間の管理をするようになったことは、当時の先進国家の仲間入りをしたということであり、意義深い」と話す。
 一九二〇(大正九)年、政府が日本初の時計が設置された日を太陽暦に直し、六月十日を「時の記念日」と定めた。近江神宮では、一九四一(昭和十六)年から毎年この日に、漏刻祭が催されている。
 漏刻祭では、全国の時計メーカーの従業員や観光客ら毎年約五百人が参列し、その時代の最新の時計を奉納している。それらの時計は境内にある時計博物館に常設展示されており、観光客らの関心を集めている。
 時計博物館の近くには、スイスの時計メーカーが一九六四(昭和三十九)年に近江神宮に寄贈した漏刻台の模型が設置されている。近江神宮の禰宜(ねぎ)吉田健一さん(56)は「漏刻台を見て、少しでも先人の苦労や時間の大切さを知ってもらえたら」と話している。
【メモ】漏刻台の模型は高さ約3メートル。四つの水槽があり、1番下の水槽に時間を計る矢が立てられている。実物が発見されていないので矢の目盛りの数は不明だが、模型では、1目盛りが約10分間を示す。

【2008年1月10日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ