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(203)白川の肩切り地蔵(宇治市)

寺侍の不信心戒め
ひっそりとたたずむ「肩切り地蔵」。白川地域の人々だけでなく、新興住宅地の住民も花を供え、大切にしている(宇治市白川)
 古くからある山里の集落・宇治市白川地域のはずれの勧請坂に首のない地蔵がある。ただの石にも見えるが、けさ懸けに切られたように深くえぐれた跡が、白川地域に伝わる不思議な物語を伝えている。
 昔、白川の里の寺に若い寺侍がいた。碁が好きでのめり込み、やがて仕事そっちのけで夕方になると、碁の強い相手を宇治の町に探しに行くようになった。婚約者だった住職の娘は心を痛め、勧請坂の地蔵に「まじめに戻ってほしい」と毎日お参りした。
 ある夜、寺侍が碁を打ち終えて勧請坂まで帰ると、暗がりに住職の娘の姿が。だが様子がおかしい。「こんな夜更けに奇っ怪な。化け物がたぶらかそうとしているに違いない」と刀で切りつけた。その夜、娘の夢枕に地蔵が立ち、話を聞いて驚いた住職が翌朝に坂に行ってみると、谷底にけさ懸けに切られた地蔵が転がっていた。
 物語は、地蔵が住職と村人によって引き揚げられて手厚く祭られ、改心した寺侍は娘と結ばれて幸せになった、と続く。地蔵は「肩切り地蔵」の名で白川の人々に語り継がれ、大切に祭られてきた。
 白川地域は小集落だが、中世には金色院という大寺院があったとされ、山門が今も残る。宇治市の中心部へは峠を越えて行く細い道があり、地蔵のすぐ後ろはがけになっている。毎夜、寺侍が碁を打ちに行き来したとしても不思議はない。
 「宇治(の町)には平等院があり、碁を打てる人も多かったはず」と、地域の歴史に詳しい宇治市白川、製茶業服部明信さん(67)は推測する。小学生のころ、地蔵には雨よけがあり、両脇にさらに二体の地蔵があった、と記憶する。
 実は物語にはもう一つ別のストーリーがある。地蔵が化身となって現れたのは、娘が祈ったからではなく、寺侍が毎夜通る地蔵の前で手を合わせなかったため、という話だ。だが、人々の不信心への戒めという点はぶれていない。
 「信心深い地だからこそ教訓として伝えてきたのでしょう。碁を何かに置き換えれば、現代でも通用する話」と服部さん。物語は、日々の信仰を大切にした当時の人々の思いを伝えている。
【メモ】肩切り地蔵は宇治市白川堂ノ山と折居台3丁目の境界にあり、京阪宇治バス「市文化センター」を降りて東に徒歩10分。案内図や看板がなく、見つけにくい。鉄塔を目印に白川に抜ける歩道を探し、道の手前で、松林と住宅地裏に挟まれた狭い坂を約200メートル下りると右手にある。

【2008年1月16日掲載】

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