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(209)茶碗子の水(京都市伏見区)

茶人うならせた味
「茶碗子の水」を伝える井筒。後方地下の扉の奥に、わき水を引いて野菜の泥を落とした洗い場がある(京都市伏見区深草野手町)
 一七八〇(安永九)年に刊行された当時のガイドブック「都名所図会」にも、紹介されている。江戸中期の画家伊藤若冲(一七一六−一八〇〇)がデザインした石仏群で知られる石峰寺の石段下に、「茶碗子(ちゃわんこ)錦水」の添え書きとともに井戸が描かれている。
 伝えによれば、その昔、都に住む茶人が宇治川の水をくませて茶の湯に用いていた。ある時、いつものように宇治橋まで水をくみに行った使いの者が、この近くで水をこぼしてしまった。仕方なく、使いの者はこのわき水を持ち帰り、知らぬ顔をしていた。
 だが、主人はいつもの水と違うことに気付いた。問いつめられ、使いの者は恐る恐る一部始終を話した。しかられるどころか、「宇治川の水に勝る」とほめられ、その後は宇治までの遠出の労が省けたという。  石峰寺の阪田良介住職(27)は「晩年を当寺で過ごした若冲さんも、この名水を味わったのでは」と思いをはせる。
 わき水は地元の農家が長く、収穫した野菜を洗う水として使ってきた。子どものころ、わき水を引いた洗い場の水槽で遊んで怒られたという小西俊哉さん(84)は「地元では『清水』と呼んで、飲み水にも使っていた。明治十二(一八七九)年に旧東海道線の鉄道が開通するころまでは、伏見街道まで木管でつないで、往来する旅人や牛馬の飲み水にしていたとも聞いた」と、暮らしに密接していた名水を振り返る。
 しかし、時代を超えて地域に親しまれてきたわき水も、昨年夏に枯れてしまった。二十年ほど前の下水道工事で水量が半減し、周辺での宅地開発で地下水脈が絶たれたためではないかという。
 井筒の横には、長さ二十メートルほどの水路を渡した施設がある。そこに茶碗子の水を引いて野菜の泥を落としていた。わき水が枯れてからは、水道水を使って大根やネギ、ニンジンを洗っているという中井治一さん(81)は「わき水は一定の温度に保たれ、冬は温かく、夏冷たい。ここの水で洗った野菜は鮮度がいいと、市場でも評判がよかったのに…」と残念がる。
 今、人々に愛された名水を物語るのは、ステンレス製のふたに覆われた直径約一メートルの井筒だけだ。
【メモ】「茶碗子の水」がわいていた井戸は、住宅が広がる京都市伏見区深草野手町の路傍にひっそりとある。そばに地蔵堂が立つ。京阪深草駅から東に約300メートル、JR稲荷駅から南東に約400メートル。石峰寺TEL075(641)0792。

【2008年1月25日掲載】

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