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(212)矢取地蔵(京都市南区)

空海の身代わりに
地蔵堂に安置された矢取地蔵に手を合わせる女性(京都市南区唐橋羅城門町)
 雪が舞う中、地元の人々が絶えることなく手を合わせに来る。地蔵堂の「矢取(やとり)地蔵」には花が手向けられ、清掃も行き届いている。大切に守られてきた様子が伝わる。
 千二百年近くさかのぼった平安時代初期。嵯峨天皇の命で造営された東寺と西寺は、その勢力を競っていた。東寺には今に続く真言宗の開祖・空海がおり、一方の西寺には守敏(しゅびん)という僧がいた。
 八二四(天長元)年、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。淳和天皇は空海と守敏に神泉苑(京都市中京区)で雨ごいを命じる。先に守敏が祈念したが、雨は降らない。対して、空海が願をかけると三日三晩にわたって雨が続いたという。「雨ごい合戦」は空海に軍配が上がった。
 しかし、守敏は腹の虫が治まらない。ついに空海を羅城門近くで待ち伏せて矢を放つ。その時、黒衣の僧が現れて身代わりに矢を受け、空海は難を逃れた。黒衣の僧は実はお地蔵さまの化身であり、後にそのお地蔵さまは「矢取地蔵」とか「矢負(やおい)地蔵」と呼ばれ、信仰を集めてきたという。
 現在の地蔵堂は明治時代に地元住民が寄進した。中央に鎮座する仏像が矢取地蔵尊。優しい顔で民衆を見守っている。横浜市の大学生・野崎新二さん(23)は東寺を訪ねた後、矢取地蔵を見学に来た。「空海は誰もが知る圧倒的な存在。その空海を守ったのだから、このお地蔵さんはすごい。反対に守敏は悪役すぎて少しかわいそう」
 地蔵堂の東側には、大小たくさんのお地蔵さんが安置されている。昭和時代初期、九条通を拡幅する工事中に、地中から出てきたという。
 地元に生まれ育った佐竹源三郎さん(92)は、「その昔、この辺りは刑場があったようで、お地蔵さんは打ち首になった人の供養塔だと聞いた。でも、お地蔵さんは世間一般では子どもの守り本尊。大事にしたい」と話す。地蔵堂の隣は子どもたちが集う学習塾。週二回、元気な声が響く。
 田中スガ子さん(90)は地蔵堂の近くへ嫁いで六十五年。以前は地蔵堂の世話役を任されていた。「地域の大切なものをお預かりしている気持ちで務めました。たくさんのお地蔵さんに見守られて心強いです」
【メモ】矢取地蔵の地蔵堂は京都市南区唐橋羅城門町(九条通千本東入ル)。市バス停留所「羅城門」から徒歩2分。地蔵堂の北側の花園児童公園には、平安京の羅城門跡を記す石碑がある。矢取地蔵が身をていして守った空海ゆかりの東寺へは徒歩約10分。

【2008年1月31日掲載】

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