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(214)お半長右衛門(京都市中京区)

事件を心中に脚色
浄瑠璃「桂川連理柵 帯屋の段」に出てくる《柳の馬場を押小路…虎石町の西側に》を訪ねると、老舗のかまぼこ店が立っていた(京都市中京区)
 《妻も仕事もある四十男と、隣の家に住む十四歳の少女がのっぴきならない男女の仲に。少女は身もごり、ついには二人で桂川に身を投げて…》
 考えてみれば何ともセンセーショナルなお芝居だ。歌舞伎や文楽で度々上演される「桂川連理柵(れんりのしがらみ)」は、京の商家が舞台の悲しき心中物語。主人公の男女の名から「お半長右衛門(ちょううえもん)」「お半長」と呼ばれ、彼らや家族の葛藤(かっとう)、情愛が京のまちを背景に描かれる人気狂言だ。
 浄瑠璃では物語の舞台を《柳の馬場を押小路…虎石町の西側に》と記している。今の住所でいえば「中京区柳馬場通押小路下ル虎石町」。訪ねてみると、一八六九(明治二)年創業のかまぼこ店「茨木屋」が立っていた。四代目当主の池内常郎さん(78)は「ここは、うちの店ができる前、長右衛門が主(あるじ)だった『帯屋』という呉服関連の店だったと昔から言われています」と教えてくれた。
 お半と長右衛門が亡くなったとされるのは、江戸中期の一七六一年。親子ほど年の差の離れた二人の死はすぐに芝居となり、噂(うわさ)に拍車を掛けた。
 二人が亡くなった約百五十年後の一九一三(大正二)年にも、京都・南座の顔見世で「桂川−」が上演されている。その際には、池内さんの祖父ら虎石町の有志が発起人となり、二人の墓が残っている新京極の誓願寺で百五十回忌法要を営んだ。長右衛門を顔見世で演じていた人気役者の初代中村雁治郎も参詣したとあって、数千人が集まり、当時の新聞は「群衆は雪崩を打って押寄するといふ莫迦々々(ばかばか)しくも物凄(すご)い光景」と伝えている。
 それから五十年後。一九六一年にも、池内さんの父らが誓願寺で二百回忌法要を営み、文楽の大夫らが参詣したという。
 しかし、長く親しまれている「お半長」の物語の大部分は、実は脚色。虎石町に住んでいたお半と長右衛門の死体が当時、桂川で見つかったのは史実とされるが、「本当は、長右衛門がお半を大阪に奉公に連れて行く道中に何者かに襲われたようです」(池内さん)。
 迷宮入りの事件を基に狂言作家たちが面白おかしく好き放題に書き、いつしか文化にまで昇華した心中噺(ばなし)を、墓中の二人はどう見守っているのだろう。間もなく二人の二百五十回忌を迎える。
【メモ】「桂川―」は大阪の国立文楽劇場で4月に上演される。1昨年、87歳で亡くなった文楽人形遣いの最高峰吉田玉男さんの最後の舞台は、亡くなる2カ月前に演じた「桂川―」の長右衛門で、中年男の悲哀が人形ににじみ出ていた。今回はお半を吉田簑助、長右衛門を桐竹勘十郎が使う。落語では「桂川―」をパロディーにした「胴乱の幸助」がある。

【2008年2月6日掲載】

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