京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(215)志賀の七不思議(綾部市志賀郷町)

「雫松」で災害予測
七不思議の一つ、雫松の皮を見つめる真宮さん(綾部市志賀郷町)
 厚さ十二センチ、高さ七十センチの大きな松の皮が綾部市志賀郷町の志賀郷公民館に置かれている。近くの同市向田町の松林にかつてあった「雫松(しずくまつ)」のもので、皮から推定される幹の直径は約三メートル。その松は雨も降らないのに葉から、雫がポタポタと落ち、その年の干ばつや水害を示したという。隣には「ゆるぎ松」が生え、風もないのに葉が揺れて都の吉凶を表したとされる。綾部市北西部の志賀郷地区の伝説「志賀の七不思議」に数えられる。
 一七四一年に書き写された古文書「七不思議縁起」によると飛鳥時代、聖徳太子の異母弟の金丸親王(麻呂子親王)が丹後の国の悪鬼を無事、滅ぼしたことに感謝し、通路にあった志賀郷の五つの神社を厚く信仰した。奈良時代に入り、子孫にあたる金里宰相が親王の信仰を思い返し、五神社を千日詣で。達成を記念してフジ、ミョウガ、竹、ハギ、カキを植え、子孫や都の繁栄、豊作などを祈願した。
 それらの植物には正月にカキの実がなる、フジの花が咲く、タケノコが生える…など、不思議な現象が現れ出し、呼応するように、もともと村にあった二つの松にも異変が起こった。さらに、それらには、その年の米など作物の出来栄えや自然災害を告げるありがたい霊験が備わっていた。
 決まり事を守らないなどの人間の不手際などからカキ、フジ、ハギの不思議はやがて消え、二つの松も数奇な運命をたどる。安土桃山時代、明智光秀が福知山城を築く際、棟木として使うため松は伐採されてしまう。この時、きこりに松を切らせたが、木くずが次の日になると元の状態に戻ってしまい、切り終えられなかった。業を煮やした光秀の家来が木くずを燃やしながら切って、ようやく松を倒したという。
 七不思議の伝説に詳しい真宮均さん(81)=志賀郷町=は「かつてこの辺りは湖だったため、ミネラルを多分に含んだ土ときれいな水があり、昔からおいしいお米の産地だった。そのため、豊作などを占う作物に関する伝説が生まれた」と推測する。
 二つの不思議を伝える行事は今も連綿と続く。二月三日は綾部市金河内町の阿須々伎神社で茗荷(みょうが)祭、四日は篠田町、篠田神社で筍(たけのこ)祭。今年も神主らが境内の「お宝田」でミョウガやタケノコを刈り取り、米の作柄を占った。真宮さんは「七不思議は長い間、地域に親しまれてきました。次の世代の子どもたちに語っても面白いと好評なんです」と顔をほころばせる。
【メモ】伝説の五つの神社は阿須々伎、篠田神社、若宮、藤波、諏訪神社で、志賀郷公民館には七不思議に関する資料を集めた「七不思議文庫」があり、自由に閲覧できる。同公民館へはJR綾部駅南口から、あやバス志賀南北線で約20分、「志賀郷」下車。

【2008年2月7日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ