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(219)みそ汁の恩返し(亀岡市保津町)

安泰守る神に感謝
牛松山山頂近くに鎮座する金刀比羅神社。保津川や保津の町の安全を見守り続ける
 「保津川下り」の出発地で知られる亀岡市保津町では、毎月十日はみそ汁を飲まないという風習が残る。台所を預かる女性に伝えられてきたこの珍しい風習は、保津の町を懐に抱く牛松山山頂の金刀比羅神社と深いかかわりがあるという。
 昔、保津の村には三匹の年老いたキツネがすみついていた。「筧(かけい)の小女郎」「火無しのお龍(たつ)」と呼ぶ雌二匹と、「山坊の(やまんぼう)甚五郎」という雄一匹で、村人を化かしてからかったり、菓子や魚を奪い取ったりと好き放題の暮らしをしていた。  そのころ、継母に育てられていた保津の金刀比羅の神は、三度の食事はみそ汁だけという、虐げられた生活を送っていた。来る日も来る日もみそ汁ばかりで、おなかが減って仕方がない。三キツネのうち、山坊の甚五郎からこっそりご飯を分け与えてもらいながら成長していった。
 一人前になった金刀比羅の神は、牛松山の山頂近くに鎮座して保津の守り神となる。村は丹波の物産を京の都へ運ぶ舟運の玄関口だが、保津峡は難所の連続で、水難事故も多かった。金刀比羅の神は、川舟の安全を祈る村人たちの願いをかなえ、またある時は、国の危機も救った。丹波亀山城主の一大事を伝えるため、三日以内で江戸と城を往復する使命を受けた藩士は、神の守護を受け、無事に主命を果たすことができたという。
 「苦難の中で育った金刀比羅様が、村や国の安泰を見守ってくださる」。村人たちは、みそ汁しか与えられなかった神に遠慮し、また、神の御利益や神を育てた山坊の甚五郎への感謝の意味も込めて、月命日にあたる十日にみそ汁を飲まなくなったのだという。
 保津川の豊かな水に恵まれる保津の町は、大雨のたびに水害に悩まされ続けた土地でもあった。「保津に伝わる伝承や風習の多くは、水への恐れや備えを口伝えするものだった」と同町の古谷弘志自治会長(72)は言う。キツネが化かす言い伝えなどにも、夜遅くに川に近づかないよう諭す意味が込められている。
 治水対策が進んで水害が減り、核家族化も進む中、伝承は高齢者の記憶に残るだけになりつつある。同町自治会は伝承ゆかりの地など町内百六十カ所に「保津百景道しるべ」看板を立てて後世に伝える取り組みを進める。古谷会長は「子どもたちの親の世代も知らないことが多くなっている。自分の古里を知り、町への愛着を高めてほしい」と願う。
【メモ】金刀比羅神社へは、JR亀岡駅から牛松山ハイキングコースを経て片道3.5キロ、約1時間半。保津町自治会が町内に設けた「保津百景道しるべ」の看板は計160カ所あり、北保津、保津川、愛宕谷、明智越えの各コースごとに歩いて散策できる。看板にはカメラ付き携帯電話で読み取れるQRコードが付けられ、画面に詳しい解説が表示される。

【2008年2月15日掲載】

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