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(220)登天石(京都市上京区)

道真公の霊が乗る
学問の神様菅原道真にかかわる言い伝えが残る水火天満宮の登天石(京都市上京区堀川通上御霊前上ル)
 学問の神様、菅原道真を祭る水火天満宮の境内に、幼児ほどの大きさで上部の少しくびれた石が本殿に向き合うように置かれている。「登天石(とうてんせき)」と呼ばれ大切に祭られてきた同石には道真にまつわるエピソードが残る。
 同天満宮の由緒書などによれば、藤原時平らの策略で道真は九州・太宰府に左遷され、延喜三(九〇三)年に亡くなった。それ以来、都は大雨や落雷、洪水などに見舞われ、道真を太宰府に追いやった時平ら関係者が相次いで変死すると、京の人々は道真の怨霊(おんりょう)の仕業だと口にした。
 醍醐天皇は、天変地異を鎮めるために比叡山延暦寺の法性坊尊意僧正に祈とうを命じた。勅命を受けた尊意僧正は雷鳴とどろく中、山を下りて宮中に急いだが、鴨川まで来ると突然、川の水位が上がり始め、とうとう土手を越えて町中に流れ込んできた。
 尊意僧正は手にした数珠をひともみして祈ると、水の流れは二つに分かれ一つの石が現れた。石の上には道真の霊が立っていた。尊意僧正との問答の末、道真の霊は雲の上に飛び去り、それまでの荒れ狂っていた雷雨がぴたりとやんだという。
 石の名前は一連の話から名付けられたとされる。その後、尊意僧正が道真の霊を供養するため同天満宮を創建したと伝えられている。
 水火天満宮はもともと現在の場所の西側にあったが、昭和二十七(一九五二)年に移転。江戸時代の地図で見ると、当時の天満宮は堀川通のちょうど北端にあたっていた。
 水火という変わった名称について、同天満宮の孝学暁宮司(60)は「元の境内のそばには鴨川から分かれた二俣川が流れており、しばしばこの地域は水害に見舞われていた。水難を封じるために社が建てられ、雷神である道真公を祭ることから水火と名付けられたのでしょう」と説明する。
 京都検定にも取り上げられ、登天石を見に訪れる参拝者も多くなっているという。登天石の西隣には昭和に入ってから寄贈されたという「出世石」が仲良く並んでいる。
 孝学宮司は「登天石はもともと隕石(いんせき)だったという話もある。道真公伝説とともに天にゆかりが多い石です」と話す。
【メモ】水火天満宮は京都市上京区堀川通上御霊前上ル。TEL075(451)5057。市バス停留所「天神公園前」下車すぐ。社伝では延長元(923)年の創建とされる。境内には、ヒカンザクラなどの桜が植えられ、隠れた名所として知られる。春のシーズンには桜のライトアップを行っている。

【2008年2月19日掲載】

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