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(221)弥陀次郎(京都府久御山町)

淀川から観音像
弥陀次郎が見つけた十一面観音像が祭られている安養寺(久御山町東一口)
 淀ダイコンはじめ野菜産地で知られる京都府久御山町東一口は、広大な巨椋(おぐら)池が干拓されるまで池畔の漁村として栄えた。集落内の安養寺にまつわる伝説にも巨椋池の漁師が登場する。
 安養寺の「弥陀(みだ)次郎縁起」によると、平安末期の十二世紀中ごろ、巨椋池のほとりに子宝に恵まれない漁師夫婦がいた。朝夕、神仏に祈願してやっと男の子を授かった。次郎と名付け大切に育てたが、幼くして両親は亡くなり、次郎は人々に「悪次郎」と呼ばれるほどの荒くれ者になった。
 ある日次郎は、何度も物ごいに来る僧に腹を立てて、僧の左のほおに焼火箸を押しつけた。気になって僧の後を追うと、僧は粟生の光明寺(長岡京市)で姿を消し、同寺の中尊釈迦如来像の左のほおにやけどの跡があった。びっくりした次郎は、以後、善行を心掛けるようになったという。
 そして次郎が夢のお告げに従い、淀川に網を投げ入れると、水中からまぶしく輝く観音像が現れた。同縁起には一一九二(建久三)年三月十八日のことと書かれている。次郎は精進を重ね、人々から「弥陀次郎」と呼ばれるほどになった。
 その観音像が、安養寺の本尊・十一面観音像という。像は秘仏で、毎年、三月の彼岸入り前の週末に行われる同寺春祭りに開帳される。春祭りはかつては三月十八日に行われていた。十五年ほど同寺の総代を務めた沢野重三郎さん(91)は「覚えやすい弥陀次郎さんの話のおかげで、物心つくころには観音様をあがめる気持ちが芽生えていた」と話す。春祭り当日、厨子(ずし)の扉を開けるのは総代の役目だったが、「恐れ多くて、正面切って観音様の顔を見たことは一度もない」と言う。
 春祭りに本堂で行われる「双盤念仏」は、南山城地域唯一の伝承念仏で、「鉦(かね)講」の十人が鉦をたたきながら「南無阿弥陀仏」と独特の節回しで詠唱する。かつて鉦をたたくのは十四−十七歳の少年だった。「大人の仲間入りをしたとわくわくした」と沢野さんは懐かしがる。
 現在は保存会を作り、二十−四十代の男たち約二十人で、弥陀次郎への親しみと観音信仰をこめた双盤念仏を引き継いでいる。
【メモ】安養寺へは国道24号から古川沿いに西へ約100メートル。かつて巨椋池一帯の漁師を取り仕切った山田家が構えた大邸宅の「長屋門」の南隣に位置する。今年の同寺春祭りは3月15−16日に行われ、16日午前5時に十一面観音像を開帳する。

【2008年2月20日掲載】

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